治療

なぜ瞬間的なのか

前回の記事における瞬間性に関連して、以下の引用はひじょうに興味深いものになると思う。

使うフォースの速さは、本質的には、時間とは関係がない。とはいえ、速さという言葉に代わる言葉を見つけることは難しい。それは、フォースが原因の世界から発せられたときの、結果の世界に関係がある。それはおそらく、真理に関係している。というのは、衝動がより正しいものになり、主観的な目的についての理解がより明瞭になるにつれて、フォースの方向付けと衝動は自動的に正しいものになるからである。おそらくこの速さという言葉は「正しい方向付け」という言葉に言い換えたほうがより正確であろう。というのは、正確な方向付け、正しい方向性、目的についての正確な理解、必要とするフォースのタイプについての認識があれば、瞬時に効果があらわれるからである。魂が望ましい特質を感知し、永遠なる方の強さと原初から存在する方の持続性があるならば、フォースの表現過程と、原因と結果のあいだの関係づけは、連続的なものにならずに、瞬間的かつ同時的なものになるアリス・ベイリー(ホワイトマジック下 p.300)

難解かもしれないが、じじつ、内容こそ同類であれ、この引用文における示唆はより上位のテクニックに関するものに焦点が当てられている。しかし、われわれが学術的である必要はない。それは知識になるだけであり、知識は必ずしも実践を伴わない。まして、オカルトの技術においては、知識というものは実践の前ではなく後にくるものである。別言するとわかりやすいだろうか。実践するものは「わたし」ではなく、その実践する「なにか」をマインドが見て、それを彼なりの知識として濾過し言語化するのである。

見る。これは初期段階においてマインドの仕事である。次に、諸体が魂と整列するとき(完全でなくともよい)、眉間に座するアジュナ・センターの別名である第三の目がフォースを方向付ける役割を果たす。この方法や知識というのもまた、魂が行い、その後にマインドがそれを見て知るのである。そして、純化された人間は知識ないしはテクニックとして自分のものにし、結果の世界に文字通り結果をもたらすことができるようになる。

苦痛がある。見る。これで終わりである。のちに苦痛はなくなる。あらゆる情緒がなくなる。それらがイリュージョンであることが知られるからである。それらは原因の世界の埒外にあり、ただ背後から見られるだけのもの、操作すべき対象となる。この操作も自動的かつ瞬間的である。たとえば、聖者の前に近づくだけで心が平和になるのはそのためである。サットサンとはそのようなものである。こうして、原因の世界から結果の世界に効果をもたらす道具なり手法なりはあるが、逆はありえない。しかし逆という概念を仮定することはできる。逆への道、霊的な道という一時的な修練(という間違い)を活用することもできる。それゆえわれらは棲家を変えるべきだと、前回の記事にて主張したのである。

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