孤独

二つの孤独

ここでは孤独を二つに分けている。より上位の孤独については意識のレベルが異なるため、別の機会にまわす。

1. 一般的な孤独。他人と接触・会話のないもの、集団社会ないしは家庭での孤立、最愛の人間や動物の死による喪失感がもたらす孤独……、疎外感と隔絶間があり、不安、寂しさ、劣等意識、恐怖感に苛まれる。

孤独は苦痛と双璧をなし内的幸福への近道を提供する。ただし、『社会に生きる身体としての自己』をおのれとして信じているかぎり、孤独は十分恐怖の対象になる。なかには、生来の人嫌いから孤独に免疫を持ち、多少慣れ親しむ人もいれば、強さを獲得する最良の道具として孤独を活用し、歓迎する人もいる。

いずれにせよ、この種の苦痛の共通項にして問題点は、生きるため、欲求を満たすため、恐怖や寂しさを紛らわすために、他人を必要とし、他人に依存しているという点にある。直接的である場合もあれば潜在的な場合もある。おのれの孤独に矜持を感じているつもりでも、嘘をついた人が暗い気持ちになるように、どこか後ろめたさがつきまとう。他人に認められたい、理解してもらいたいという欲求から逃れられてはいないのだ。

ボクサーが試合前に恐怖と戦うのは殴られることへの恐怖からではない。無様な醜態を人々にさらすこと、それにより、かつて『周囲の者』でありえた人間たちが、他人のようによそよそしく、自分から離れゆくことを恐れている。王者であること、勝ち続けることが他者との関わりの生命線となっている。彼らはスポーツの枠内にて強さを主張できるかもしれないが、こころは置き去りにされること、(相対的な)孤独へ逆戻りすることを恐れている。

他者への依存があるかぎり、嫌がらせのように、孤独はつきまとうのだ。


2. 二つ目の孤独として、以下にアリス・ベイリーの書物から引用したい。

道を見つけるまでは何も彼を満足させることができない。父の家にあるもの以外に、彼の存在の中心にある欲求を満たせるものはない。すべての小さな道を試し、それらが不十分であることに気づき、多くの案内者に従い、彼らが「盲人を導く盲人」でしかないことに気づいたため、彼はいま彼であるものになったのである。自分自身の案内者になり、一人で自分自身の家路を見つける以外に彼には何も残されていない。

彼は経験を積んできたため、外界そして物質主義に対する誤謬を識別できる位置まで来た。彼は否定の道、拒絶の道の必然として、外から内へ、物質から霊性へと導かれた。彼を理解してくれる人間はまわりにいない。皆無でありしたがって孤独となる。まだなにも知らない(誤解を恐れずにいうと)未発達な人々が彼に違和感を覚えはじめるのもこの頃である。別人のように見えるため、「彼はおかしくなった」という恐怖感を抱かせるおそれがある。したがって、彼は人々の前で仮面をかぶる技術を否が応でも学ぶことになる。

とはいえ、彼は道に足を踏み入れたばかりの段階にすぎず、内的な先人たちからすると初心者であり、まだ一般の人々に近い。したがって彼は確証のない手探りの暗闇のなかで自らの啓発された光をたよりに道を進むことになる。これが彼の直面する孤独である。彼は家族を捨てないし、仕事をやめることもないが、分離主義がまだ彼の内面に色濃いため、明白な他人との差異を感じながら、つまり「彼らよりもわたしは上だ」という自尊心で劣等感を紛らしながら、外的な世界で内的な孤独の道を歩む。

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