苦痛

質問:親切の度合い


人の為を思って行動する前に、自分の心配もしてしまう余裕のなさが消えるにはどうしたら…。相手にも「親切」が「押し付け」になっていないか…、人の心配する前に自分の心配しなさい、という声が聞こえて来そう。もちろん自分にできることで助けられるなら助けるけれど自分のキャパオーバーの線引きがわからない。今までの経験から守りに入っているのか。


ええ、よく理解できます。なにも間違っていないと思います。

『自己への集中』という段階から脱する前に、鍛え上げられた自分、というものを獲得しなければなりません。性格構築ができていない自分、情緒の波に簡単に飲み込まれてしまう自分、問題を解決し人々を導く力をもたない知性、これらをあらかた克服せずして、他人あるいは問題への助けとなりうる道具として自分を見なすことはできません。

このため、われわれの多くが『適切な道具』たりうるためへの経験を積んでいます。

たとえばAさんの生涯がメンタル体の鍛錬を目的とするものとします。彼の場合は、学問を活用することで立身出世をそつなくこなし、企業の長として怪腕をふるい、実践力のとわれる日々の問題にことごとく勝利をおさめ、やがて富裕層の仲間入りを果たし、競争とプライドがもたらす摩擦のなかで、苦痛を上昇のもがきとして活用し、達成と克服、あるいは失敗と凋落を経験するといった避け得ぬ生の浮き沈みのなかで苦闘し、一時代でも彼なりの成功というものを手にし、「世に我あり」と大なり小なり胸をはっていえることを証明するだけで十分です。

またBさんの生涯がアストラル体(情緒体)の沈静化にあるとしましょう。極端に、社会的に惨めな家庭に生まれたとします。遺伝、そして父母から被った幼少時のトラウマが彼の人格を苛烈なものに仕立て上げます。彼は欲求という情緒にどっぷり浸かることで、良心との縁を絶ちきり、当然のごとく極道組織に足を踏み入れ名うての雄として暗躍するかもしれませんし、町の荒くれ者をたばねる漁船の長として大酒を喰らい、望遠鏡ごしに女たちを夢見、今日も一発あてるべく荒々しい海を漂っているかもしれません。いずれにせよ『丸くなる』ための下手をいくども打ち、耐えがたい苦痛のなか、自分の性格の激しさを見つめ直す時期が与えられるでしょう。冷静さや忍耐、謙虚さ、純粋さ、良心に耳を傾けうる度量、他人を理解できる感受性、このようなものの獲得が彼のテストになるでしょう。

こうした生涯を数かぎりなく送ってきたとしましょう。ある段階にて彼は言うでしょう。「あらゆる快楽に身を投じてみたが、苦痛が増すばかりであることを知った。わたしはもう耐えられない」。物質的なものが自分に満足を与えられなくなったことによる不満と戸惑い、外界への反抗心と嫌悪感、人嫌い、すべてに対する嫌気、そして消耗し、やつれきった人間に特有の強烈な疲労感。これらの合い言葉が、外から内へ、自分から他人へという、大いなる帰還の道を開きます。

無理なさらず、自分にとって重要なことをされてください。余裕があるとき、また苦しみを感じているとき、まずは助けを求める身近な人から、力になろうという善意のなかで活動されてみてください。親切の押し売りにはなりませんよ。

すべては動機の純粋さにかかっています。感受性が発達し、人々の痛みや苦しみが自分のことのように思われるとき、正義感は必ずあなたを衝き動かすでしょう。そこに見返りはありませんが、あなたの幸福は、助けられた人からの感謝という偽善などではなく、自分を通して流れるエネルギーと能力が、適切な場で、適切に使われていること、それ自体にあることを知るでしょう。

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