用語

質問:夢の感覚


幼少の頃から、少し変わったことを考えていました。それは、私は今、別の世界では眠っていて誰かが「目を覚まして」と揺さぶっている。そして、起きている私がみているものは夢の世界。この感覚が不思議でした。現実のはずだけど、夢の中から覚めることができないまま一生を終えるような気がしています。


幼少期は、自我を構成する三体が未発達なため、大人よりも内的に敏感です。その感覚は少しも変わったものではなく、かなり核心をついたものだと思います。

純粋さとは、三体を構成する質料の純化度合いに依存しています。各々の体は相応する界層で機能します。肉体は物質界、アストラル体はアストラル界、メンタル体はメンタル界。そして、各々の界層は七つの亜界から構成されており、最低位の第七亜界から純化がはじまり、通常、第三亜界の物質をある一定の割合、諸体(三体)に組み入れたとき、魂との接触が肉体脳で感じられ意識されるようになり、自我感覚への働きかけ、つまり質問者が言われるところの「目を覚まして」と言わんばかりの波動による主張が感じられはじめます。

これを、いま覚えていなくても、幼少時は感じている場合があり、そしてそれを覚えている人といない人がいます。何歳までそのような言葉であらわしえぬものを感じていたのか、大人の頭では説明のつかない現象と関わりを持っていたのか、にもよります。大人になり、瞑想の世界へ足を踏み入れ、その後に幼少期の体験を思い出す人もいます。

これはひじょうに重要なことであるとともに、ひとつの危機を人間にもたらします。いみじくも質問者は言われました。「夢の中から覚めることなく一生を終えるのではないか」という部分です。この感覚は、見ている世界への疑問、見ている「わたし」への疑問を提示します。世界は見ている「わたし」に依存しています。ここに鍵があるのだと思います。

われわれのマインドは、通常、低位具体マインド、つまりメンタル界の第七亜界から第四亜界のいずれかに偏極しています。わたしたちの思考はこの領域にあります。

ちなみに、魂はメンタル界の第三亜界にてコーザル体という器を持ち顕現しています。したがって、マインドがメンタル界の第三亜界の物質を組み込むとき、諸体は魂の領域で抽象思考をすることが可能になります。私たちがこれまで使用してきた具体的思考というものは、その役割を終え、魂との連結により感応可能となる抽象的アイデアの濾過器として、物質界では、肉体脳を通して「解釈」する役割へと移行します。

これは、「わたし」という感覚から合一へといたる東洋のヨガ行者の主張にも相応する内容です。一例に、ニサルガダッタ・マハラジの言葉を引用します。

ここでは「どのようにすればよい」ということはない。ただマインドのなかに「わたしは在る」という感覚を保ち、あなたのマインドとその感覚がひとつになるまで、その中に没入しなさい。繰り返し試みることで、あなたはそれへの愛情と留意の正しいバランスをつかむだろう。そして、マインドは、「わたしは在る」という思考-感覚のなかに、揺らぐことなく確立するようになるだろう。 「I AM THAT」p.62

この、世界での体験から、世界への疑い、夢の世界という仮定、見ている体験者そのものへの疑い、体験者つまり「わたし」という感覚への意識の整列、諸体と魂との整列により、世界は文字通り夢となり、「わたし」は夢から覚め、より高位のわたし、つまり意識は魂の領域に帰ります。やがて、魂の器であるコーザル体ですら夢の体験媒体とみなされ破壊されます。そして、諸体を構成してきた質料のなかの囚人であった「霊」、キリストが言った「父」、秘教用語でいうところの「モナド」は解放され、いわゆる解脱、ということになります。転生は終わり、新たな領域が広がりますが、これまでそうであったように、その先も終わりはないでしょう。

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