対話

うつ病の息子を持つ母親 -1-

息子がいじめられているのだという。相談者である母親は、一人息子のために担任の教師を訪れた。勇気のいることだった。旦那は仕事の忙しさを理由に一緒に来ることを拒んだ。たった二人での話し合い。全くの無駄に終わった。息子を助けてほしいという、切なる願いは届かなかった。教師は困った顔をしたという。話を聞きはするが親身ではない。解決策を見つけようという気持ちが欠片もない。自分をやっかいごとに巻き込まないでくれ、そういう類いの顔だった。

息子はほどなくして登校拒否となる。学校での成績はきわめて優秀。いじめさえなければ明るい将来が期待できた、こういうことがないよう私立に行かせたのにと母親は仰る。息子の塞ぎ込みようは尋常ではなかった。女の子からもいじめらたのがこたえたようだった。あまり食べなくなり、母親には敵意を持つようになった。無理矢理つれていった病院ではうつ病と診断された。父親もなす術を失っている。母親はいま、ひじょうに絶望感を覚えている。

絶望は、利己的な人間によってのみ感じられる一つの警告である。学業が優秀であることと、将来の展望になにかしら因果関係があるのだろうか。立派とされる職業に居座る人間の多くが歪んだ精神に蝕まれている。幸福という観念がいつの時代も人間の精神に流行してきたのは、みな不幸だからにちがいない。みな、満たされることを欲しているからにちがいない。

しかし、精神は満たされるようにはできてはいない。たえず求めつづけ、たえず失い、このはざまをたえず繰り返している。きわめて単調で、愚かしい条件付けだ。こういう動きを離れて見る目がないとき、私たちは人生の浮き沈みに没入し、ドラマのなかで様々な役割を演じることになる。本当に自分が不幸だと感じるため、それが自作自演であるという喜劇に気づくことがない。

担任の教師を責めるのも方向性がちがう。彼もまた、時代と精神の被害者なのだ。昭和の初期ではないのだから、学校の教師がひとかどの尊敬と信頼を教え子たちから勝ち得ることは至難である。

重要なのは、親であるあなたではなかろうか。親が子供にあやまった教育をするとき、子供の精神は卑屈になり、崩壊へと向かわざるをえない。眠りにつかされ、母親と同様、ものごとのはかりを大衆の思想傾向に合わせることしかできなくなる。物心ついてからたったの十年、哀れにも世間の常識という檻に囲われている。下獄は強制であり、脱獄の鍵である精神のゆたかさを子供は必須科目として学んでこなかった。いま数式は通用しない。歴史の教訓も、英単語の知識も役には立たない。こういう状況を、むしろ絶望と呼ぶべきだろう。母親の利己的な絶望と一緒にしてはならない。

「私にとっては、むしろ、あなたが非常識だという印象を受けます。親の役目は子供の将来を真剣に考えることです。今の世の中をご存じないのでしょうか。このまま引きこもりとなり、いわゆるニートとして、社会に不適合な人間へと育つことをどのような親が望むでしょうか? あなたの予想外の対応に困惑しており、正直言いますとひじょうに不愉快です」

息子の心配をする前に、あなたが子供を脱する必要があるようだ。どうか、これを非難として受け取らないでいただきたい。私の話を聞くためには、あなたの精神が平和でなくてはならないのだ。しかし、あなたの精神の主は「恐れ」であり、この支配的なエネルギーがあなたの思考や反応を条件付けているため、あなたの受け止め方は反抗的にならざるをえず、今のところ問題への解決はほど遠い。

かりに、息子さんが立ち直り、望ましい職業につき、相応な女性と結婚し、財を築いてあなたに孫の顔を見せるとき、あなたは満足を覚えるのだ。こういうシナリオを息子に強要しているのが、母親であるはずのあなただ。それは愛ではなく、ただの自己愛だ。あなたの利己性は有害といっていいだろう。まだ自我がはっきりと輪郭をあらわす前から、大人ぶった幼稚な考えで息子を洗脳し、医者になりたいと思わせてきた。息子に対して誰かが将来の夢を聞くとき、息子が医者だと答えるときのあなたの顔がひどくご満悦なのは想像に難くない。

あなたは、まずご自身が被害者であることを知らないかぎり、息子さんを助けることはできない。あなたが医者であり、旦那様も医者でいらっしゃるが、その優れた教養が、現実の困難に対して何の治癒能力も持たない事実に違和感を覚えないだろうか。重要なのは、学力よりも精神のゆたかさであり、精神がゆたかであるとき、そこに必ず備わる深遠な智慧というものは、あなたが信奉なさる学力や知性をはるかに超えているのだ。

人生の意義であり醍醐味でしかない困難、たとえいじめであれ、あなたの精神がゆたかであるのなら、息子さんの助けになることができるだろう。しかし、あなたの精神は混乱のさなかにある。そして、現実に対して自分が無力であることを認める地点に来ておられる。事実に対し、正直になる勇気はあるだろうか。たとえあなたの過去や信念を否定することになろうとも、現実という偉大なる医者が、いまあなたを、ぐうの音も出ない立場に置き、精神の病気はあなた自身の方であることを教えておられる。あなたは自分をいじめすぎた。厳しくしすぎてきた。純粋無垢であった少女はいま大人になり、痛めつけられた精神のなかでもがき苦しんでいる。あなたをいじめるあなたから、まずはあなた自身が自由にならなければならない。これが解決への第一歩なのだ。




ブログランキング・にほんブログ村へ

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


最近の投稿

アーカイブ

  1. パワー

    うつ病患者との対話
  2. 孤独

    人間不信の方へ
  3. 対話

    過去を引きずるうつ病の女性
  4. 分類不能

    苦痛を見た至福の青年
  5. 対話

    うつ病の息子を持つ母親 -1-
PAGE TOP