クンダリーニ

クンダリーニの覚醒

火を特定の点に向けようとするのは望ましいことではない。無知による操作は発狂と致命的な病気を引き起こす。熱誠家が霊的な目的の誠実さと慈悲に満ちた愛他主義だけを目指し、穏やかな専心によってアストラル体の征服とメンタル体の拡大に集中し、抽象思考の習慣を培うならば、望ましい結果が諸センターに必然的に生じ、危険は免れるだろう。

秘教瞑想に関する手紙 p.102

手のつけられない人間がいる。刑務所や犯罪組織に属する兄弟たちは、まだ規律に従っている。しかし瞑想者の多くが我儘で分別を持たない。彼らも等しく兄弟であるが、過度の利己主義と、啓発されていないマインドにより、欲求に屈して、意図的かつ人工的にクンダリーニの火を目覚めさせるべく日夜努力している。我々が出来ることは、イエスがそうしたように、無知ゆえの兄弟の試みに対し、許しを祈ることだけである。「彼らは何をしているのか自分でわからないのです」。

弟子は、クンダリーニについて興味を持っていない。その時が来たら、自身に落ち度がないか、時期尚早な覚醒でないか、誠実に吟味するだけである。しかし世の中には、進化やサイキック能力や神秘的体験を求めて、魂の指揮下からではなく、自我の意志からこの脊柱基底に眠る蛇の火を呼び醒まそうとする同胞たちがいる。彼らは適切な順序を知らず、またそれを正しく解釈するための知性もない。人生が不満だから、もっと大きな自我になりたいから、彼ら彼女たちは恐怖と惨劇の火遊びに興じている。彼らが読んでいるならば、今すぐ止めるように。自分を大切にするように。分離の欲望に負けないように。自分は大丈夫と無闇に信じないように。あなたが望むどのような願望も火は指示せず、あなたを破壊するだけである。

クンダリーニの覚醒 条件と兆候

火について、他の体験者の話を知らないため、多くを書けない。以下は個人的な体験からの解釈である。そのクンダリーニという神聖な火、つまり脾臓から供給される熱とプラーナの流れの二重の混合物は、次の段階がクリアされた時に知覚され始めたと記憶している。

  1. アストラル体の統御がほぼ完成し、
  2. 魂として、メンタル体を随意に静めることが可能になり、
  3. 魂として、魂に集中することが自然になり始めたとき。

最初は下腹部、さらにその下、仙骨センターと脊柱基底センターの周辺に轟音めいたエネルギーの振動を感じるようになるかもしれない。それは肉体の振動ではない。触ったら分かるだろう。エーテル体内での動きである。火は独特の幾何学模様を描いて、脊柱上のエーテル通路にあるすべての障害を焼き尽くしつつ、五つのチャクラを通過し、螺旋的に上昇する。感じ方には個人差があるだろう。背中を叩かれる音を聞く者もおれば、体に熱を感じる者もおるだろう。いずれにせよ、弟子が誠実であり、愛と善に向かっており、自分の進化に興味を示しておらず、結果として魂の指揮下にあるならば、恐れる必要はない。火は安全かつゆっくりと昇り、最終的に脊柱基底と頭頂のチャクラを統一し、低位我と高位我の橋渡しを担い、頭部内の二つのチャクラを活性化して魂とパーソナリティーの合一を可能にする。

弟子が魂そのものとして魂に集中するとき、クンダリーニの火は自然に幾何学的な螺旋を描いて上昇する。弟子は清浄で静かであるといえども、まだ自我意識があるが、この不可思議な動きを肉体脳で感知する。つまり、(アジュナ・チャクラを通した)魂への集中とクンダリーニの鳴動は確実に連関性がある。したがって、火の上昇が自然である場合、合一における終盤を示しているに過ぎず、そこに個人として反応を示すことはない。それぐらい、この時期の弟子の意識はサットヴァであり、清浄なマインドは静かである。

最後に

正しい心構えもなく、必要とされる知識も装備もなく、ゆっくりとした着実で安全な道を辿ろうという意志すらない場合、一時的に君は瞑想をやめるべきである。君の通路は準備ができていないため、火は肉体組織を焼き、望ましくないチャクラを刺激し、耐え難い苦悩と苦痛をもたらしうる。グロテスクな末路を迎える必要はない。君はもっと「怖がるべき」である。

また、クンダリーニの覚醒が認められたとき、初心者である我々は、まずおのれを疑うべきである。間違った瞑想をしてはいないか。ハタ・ヨガや呼吸法、クンダリーニ・ヨーガといった無意味なものを実践した結果ではないか。利己的な欲求や霊的野心に支配されてはいないか。自我である自分のために覚醒を欲してはいないか。火の目醒めを自我は喜んでいないか。火の上昇を見ているのは自我なのか、魂と融合した静かな消えゆく自我なのか。……可能なかぎり確認すべきである。そして、邪悪な資質を自らに見出したならば、クンダリーニのことは忘れて、自らの悪と欠点の克服に立ち返るようお願いするものである。けっして、神聖なる火を自我は求めてはならない。それは我々が引き起こすものではなく、魂における自然現象である。

心せよ前のページ

三つのグナ、三つの解放次のページ

コメント

  • コメント (2)

  • トラックバックは利用できません。

    • 山中
    • 2022年 11月 04日 2:49pm

    ただただ感謝いたします。
    このような記事を無料で私たちに届けて下さることに。
    心からお礼を申し上げます。

    毎日、この記事を読むときだけは心が鎮まり、ニュートラルに戻るような気がしています。

      • Author
      • 2022年 11月 04日 3:51pm

      こちらこそ、いつもありがとうございます。

CAPTCHA


カレンダー

2022年12月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
PAGE TOP