グナ

三つのグナ、三つの解放

人間の解放を、物質の三つの特質から考えることは有益である。つまり、サットヴァ(調和)、ラジャス(活動)、タマス(惰性)の三つである。サットヴァを霊、ラジャスを魂、タマスを精霊と置き換えることができる。また、サットヴァはメンタル体を、ラジャスはアストラル体を、タマスは肉体を支配する特質と考えることができる。同様に、エネルギー、フォース、質料と置き換えることもできる。最低位から最高位まで、全ての界層の全ての形態に、この三つのグナの特性が備わっており、違いは三つの特質の顕現の度合い・比率にある。ここまでの文章を学習における基本とする。

グナの活動意義

三つのグナは、次の事実と関連付けて考えることができる。

三つのグナ全てが使われ、形態の使用を通して完全な経験を獲得し、対象や形態への執着を通して意識・知覚・認識を発達させ、全ての資源を活用し終えた時、霊的人間はそれ以上それらを使う必要はなくなる。結果、グナから自由になり、執着の結果として形態を纏う必要がなくなり、新しい意識状態へと入る。

魂の光p.46

人間を最初に特徴づけるのはタマス(惰性)であるが、「経験」の獲得のため、ラジャス(活動性)が用いられることになる。従って、平均的な人間はアストラル体に支配されており、人生は暴力的で情緒的かつ欲望的なものとなり、あらゆる気分と感情に支配される。このようにして形態と同一化し経験を積む。結果、霊(生命)とアストラル偏極した粗暴な人間に”ベクトル”の差異が生じ、この摩擦を人間は苦痛として知覚する。粗雑な整備されていないアストラル体の無統御な使用により、歪んだフォースを発生させ、純粋なエネルギー(サットヴァ)との齟齬が生じるのである。従って、第一段階のイニシエートが訓練するのはこのアストラル・フォースであり、これを純粋なエネルギー(この段階では魂のエネルギー)によって完全に変性させることが第二イニシエーションまでの目標となる。そのとき、アストラル体は高位のエネルギーを妨害しない。したがってアストラル的な摩擦つまり苦痛はなくなる。以上の文章は真に理解され実践されるならば大いなる啓明と解放をもたらすだろう。

サットヴァの選別

以上はアストラル体を例にとった解放の描写である。しかし、我々人間は三重であり、メンタル体、アストラル体、肉体のすべてを清浄にし、解放する必要がある。サットヴァのみが支配する時に解放が起こる。その時のみ、ラジャスとタマスは統御される。これが清澄な高位の意識状態であり、その逆が不純な我々の意識状態である。つまり、ラジャスとタマスに支配され、サットヴァを感じることは稀である。

理解力のある弟子は、従って、意識的にサットヴァを選別し自己に適用するようになる。初学者は肉体が意識において優勢かつ簡単であるため、肉体のサットヴァ化に熱心になる傾向がある。つまり菜食主義になったり、断食をしたり、栄養を学んだり、周囲の環境や空気に気を配ったりと、肉体の清澄さに近視眼的となる。瞑想もこの時期に開始されるが、それは純粋に利己的なものである。

オカルト的な例

見習いの弟子は、肉体よりもアストラル体が戦場となる。彼の目標はアストラル体の清澄さである。このとき、極度の苦痛が弟子を痛めつけるだろう。そのようにしてのみ、苦痛の原理を学ぶことができるのである。最初は盲目だが、問題はオカルト的に明瞭となる。つまり、三つのグナが理解され、それをエネルギーとフォースに関連付けて考える能力が芽生える。

簡単に例を挙げよう。弟子は、どのアストラル・フォースがラジャスかタマスか識別し、それらを知覚次第、サットヴァ的なアストラル・フォースに置き換えるようになる。誰かに対して苛立ちが起こるならば、そのラジャスをサットヴァに置き換えようと試みる。つまり苛立ちを思いやり、理解、愛といったものへ置き換えることで、感覚的に、ラジャスがサットヴァ化することにいくらか成功する。

しかし、この試みは純粋に理知的であるゆえ限定的である。そのため、彼は瞑想するのである。瞑想によってのみ、高位のエネルギー、真のサットヴァを流入させることができる。したがって、フォースつまりこの場合ラジャスは、エネルギーつまりサットヴァによって秘教的に置き換えられるようになるのである。彼は眉間のチャクラを通して、変性したいラジャスやタマスのフォースに光(サットヴァ)を当てる。そして対象は瞬時にサットヴァ化する。これが最初に身につけるオカルト的なテクニックである。この段階の鍵は瞑想であり、より高位のサットヴァ流入と、その秘教的な使用である。

まとめ

長くなったため、あまりラジャスやタマスを刺激しないよう残り1000文字以内でまとめる。三つのグナを識別するならば、サットヴァを意識的に取り入れよう、という話である。ここに無意識な場合、人生は環境や出来事といった外部へ依存し不安定をきわめる。肉体、アストラル体、メンタル体、いずれもサットヴァのみを取り入れること。これが解放の必須条件である。以下、肉体だけサットヴァ摂取の例を示す。

食事:(いずれもなるだけ無農薬の)野菜、果物(特に柑橘類)、玄米、良質な牛乳、ナッツ、全粒粉パン、蜂蜜、などから活動に支障がないだけ、なるだけ少量摂る。水は内的にも外的にもふんだんに。いくらサットヴァでも食べ過ぎはタマス(惰性)に傾かせる。眠くなったり重くなるから分かりやすいはずである。後にアストラル体とメンタル体が清澄になると、食べる必要からも徐々に解放される。なぜなら、ほとんどの空腹は内的な間違いに起因していることを知るからである。現代人は食べ過ぎであることを知り、一日一食で十分すぎることを知るべきである。すると健康になるだろう。ただし、バランス感覚がないと、極度の菜食や極端な断食という狂信に陥る。

清潔:肉体を清潔に保つということである。必然的に、住環境、周囲も清潔でなければならない。掃除はアストラル体のサットヴァ化にも影響を与えるだろう。バランス感覚がないと、極度の潔癖症に陥る。

良質な睡眠:適度な運動・活動、これに加えて消化活動により、夜の十時から朝の五時までを目安と教えられているが、個人差がある。特に長く瞑想する者は、あまり睡眠がいらないだろう。また、少食の人も必然的にあまり寝なくて済むだろう。

日光:日光を毎日十分浴びることが推奨されている。

以上の四つを厳格に守るならば、肉体におけるラジャスとタマスの除去は数年で済むと教えられているが、あくまでこれは予備的な性質のものである。瞑想が難しい段階、つまり第一イニシエーションの準備に関わるものであり、一般の弟子は瞑想の力を頼みにして、アストラル体からラジャスとタマスを除去し、サットヴァ性質を組み込むことを意識して生活するだろう。これは完全に意識的な生活をもたらす。なぜなら、自分の精神感覚を人間は理解できるからであり、サットヴァの特徴である静けさ、澄んだ喜びや幸福感といったものに支配されていないときは、すぐにそれを苦痛として認識できるからである。メンタル体のサットヴァ可は、それに取り組む段階の者であればすでに何を為すべきか知っているので割愛する。

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