意志

人間と運命

人は、意識はあるが、純粋意識ではない。

たえず、欲求や恐れといった情緒、そして思考といった形態と結びつくため、
個人という分離の錯覚に陥っており、純粋意識が覆い隠されている。
そのため、自由意志という錯覚のなかで、生というドラマに溺れることが可能になっている。

これが、われわれが人間たる由縁であり、不完全たる理由である。
水浴びをして人が汚れを落とすように、不完全さを洗い流すのは日々の瞑想である。

われわれは自分を身体と見なして「わたし」と言い、また行動するが、
肉体が死滅することを同時に知っている。

純粋意識は不死であり、その≪なんでもないさま≫は、
われわれの意識が知覚してきたどのようなものより美しく、静かで、また幸福である。
それは、≪なにかではありえない≫ことによる恩恵である。

近い将来の教育は、具体的知性の訓練よりも、
純化された感覚と感受性における抽象的知性に重点が置かれるだろう。
粗雑な形態は凝結した結果として見られ、精通すべきは背後の原因、
エネルギーとフォースの操作になるだろう。

われわれは情緒を置き去りにするため、現代社会の娯楽の大半がなくなるだろう。
われわれは必要なときのみ思考を道具として使うようになるため、
使われている状態の自我意識を忘れるだろう。
分離した意識は過去の遺物となり、ふたたび表現不能の唯一、純粋意識へと帰るだろう。

人間はフォースの犠牲者であり、
意識はあるが眠らされており、
自由で独立した意志はなく、動かされているだけであり、
このようにして運命は成就される。

運命から自由な形態などありはしない。
運命から自由になった人間はいない。人間は運命の範疇の構成物にとどまる。
偉大なる一者の意志と計画が成就されることで、人間を超越した生命が存在し、
彼においてはわれわれの世界の運命からは自由である。

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