孤独

人間不信の方へ

生身の人間は弱い生き物です。身を守るため、自尊心を保つため、他人を攻撃しうる存在となります。強い者がおり、弱い者がいます。社会という集団にあって、比較があり、競争があり、戦いがあります。みなが、欲求と恐怖に衝き動かされ、それに気づくことなく、自分で行動しているという感覚のなか、あるときは人を裏切り、あるときは人に危害を加えます。あるいは、人々にいじめられ、人々の攻撃対象となります。この心理的・肉体的な戦いのなか、敗れた人間は苦しみ、こころに傷を負い、劣等意識に苛まれ、他人を恐れるようになります。二度と傷つかぬよう、人間を信用しないと決意します。

人間不信は、精神の防衛反応に他なりません。集団の輪があり、大衆の思想と常識があります。平均の輪から外れれば外れるほど、人は孤独になります。肉体的にも、精神的にも。周りからは変わり者扱いされ、たいてい好かれません。自分たちの輪から外れる者を、集団は容赦しないのです。こうして、少数派に属する精神の持ち主は、社会にあって生き辛さを覚えます。平均よりも高い階段を上った者ほど、感受性も強いため、精神の傷は深手となりやすく、精神の病いに屈っさざるを得ない傾向にあります。平均よりも低い階段上にある方は、それだけ感受性も低いため、性質上守られており、傷は浅く、回復もはやくすみます。

人間不信に苦しむ人間の特徴として、以下のような点が挙げられると思います。

  1. 能力が平均的な人より高い。
  2. その必然としての感受性の高さ。
  3. 感受性の必然としての共感力の高さ。
  4. 生来の、もしくは共感力の高さに必然する、性格の生真面目さ。
  5. 積年の古傷により、こころが強さを失っている。

人間不信は、上記5の段階を迎えることで発生します。わたしたちは解決策として、正しい人間関係を築くため、まずは付き合う人間の選び方に注意を払うようになるでしょう。しかし、人間が冒頭で話したような性質を持つ以上、「あの人なら大丈夫だろう」、という蓋然性の域をこえることはなく、付き合ってみたらこの人も間違っていた、となるかもしれません。そして、往々にしてそうなります。

結局のところ、他人に期待することはできません。自分の受け止め方を正しく習得するしかすべは残されていないのです。他人と距離を置いて孤独に生きるという選択肢は、一時的に役立つかもしれません。こころが弱っている以上、そのようにせざるを得ない時期があります。ただし、受け止め方に習熟していくうえで、必ずしもわたしたちは孤独である必要がなくなります。重要な孤独とは、肉体的な孤独ではなく、精神の異質化による隔絶と抱擁にあります。空気を手で掴みとることができないように、性質的な異質性の獲得は、なにものも触れ得ない精神という確固たる状態に欠かすことのできないものとなります。

どのようにして精神の異質化は生じるのでしょうか。まず、わたしたちは自分に正直になる必要があります。何が逃げであり、何が問題への対峙であるかについて、自分をだますことなく、理解しようとする姿勢が求められます。理解は、対象を消滅させる力を持ちます。わたしたちは何が怖いのでしょうか。目を背けたくなるようなあの人の顔、忘れたくても忘れられないあの言葉、時ですら癒やしてはくれないあの出来事、そしてそれらから派生するあらゆる不快な思考と感情、また一般生活における言動の傾向と、受け止め方の特徴、これらを正直な目でたゆみなく見ることになります。重要なのは、ただ見て、理解するという点です。そこに、思考の反応や、改善への働きかけといった能動性を介入させてはなりません。ただ見て、理解し、否定的なものが変容する感覚とともに在り、精神に平和と幸福感が現前するさまを見続けるだけです。

はじめは数分でかまいません。外の世界にしか向いていなかった目を、自己の内面に向きを変えるという習慣をつけることが重要なのです。この「見る」という技術は、習熟とともに自動的となり、思考や感情の変性・追い散らしもまた瞬間的なものとなります。生は、外界で活動する私から、内界から観察する者へと席を譲ります。

内界、つまりここでは依然として精神の内奥を意味しますが、ただ見ることを繰り返し試みることによって、どの位置が正しい意識の座であるかが分かり、その要所(眉間)から、あふれ出る幸福感(ハート)とともに、内面の、あのとほうもない感覚に対する愛情と愛着がバランスを得るようになります。やがて、精神はそれと一体になり、かつてあなたであった意識は異質化を遂げ、完全なる内界へと没入します。そこから生は見られるようになり、精神の輪を越えた異質性のなかで、外界のすべてから守られていること、そしてその意味にたどりつきます。

こうしてわたしたちは、地上において「富める者」となり、永遠の平和を獲得します。この平和が、空気伝播のように、人々のこころの荒みを浄化し、ある詩人が言ったように、「彼がいるだけで、その通り道には花々が咲き乱れる」ようになるのです。




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コメント

  • コメント (3)

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    • Aki
    • 2018年 11月 04日

    確かに人を信用しないとなれば
    周りとのコミュニケーション、
    周りとの付き合いも無くなり
    孤独になり、
    それが周りからは
    あの人は引きこもりなど言われてる
    など考えたり

    そう感じる事もあります。

    そういった人間は
    何か傷ついた時、
    裏切られたの時は仕返しなどが
    酷くなると思いました。

    自分が裏切られたら
    ただ落ち込み、ただ引きこもり、
    うつになり…

    性格にもよると思ってましたが
    高い能力の人と付き合う事で
    自分ももっと高いとこを目指し
    絶対に負けない!

    と何かしら負けず嫌いになり
    仕事も没頭、何事にも打ち込む事に
    ひたすら続ける。

    限りなく続けて寝ないとこまでになり
    打ち込みやすくなります。

    そうすると
    電池が切れたかのように
    何かあった時がガクンと

    落ち込み、
    立直りが遅くなる。

    自分を制御出来なくなる時があり
    周りが見えなくなってしまい
    一つの事に没頭してしまう自分は
    違う自分かのように

    うつの自分と
    全く違い過ぎて、

    周りもそれに
    あの人、波が激しいねなど
    言われてるんだろうなって

    周りの事をとにかく気にしてしまいます。
    何故だろう。。

    気になる自分がいます。

      • Author
      • 2018年 11月 04日

      人々は変わりません。
      変わる余地があるのは自分だけだと思います。

      リアルに感じられる社会だけが居場所であるのなら、
      わたしたちの棲家は地獄でしかない、
      そのような記事を以前に書きました。

      外はリアルに感じられますが、
      それが意識の問題である、
      というふうに仮定してみてください。

      そして、本当のリアリティとはなんなのか、

      目を外から内側にむけ、
      自分の感覚に注意を払い、
      自分がどう思われていようと目をそむけず、
      また認めよう、受け入れようといった、
      能動的なアクションすらいさめ、
      ただ見ると言うこと、
      ただありのままの自分で在ってください。

      外は変わりませんが、
      苦痛がつよく真剣にならざるをえないほど、
      内は驚くほどはやく、変化を感じることができると思います。

    • Aki
    • 2018年 11月 04日

    ありがとうございます!
    凄く何か安心と言うか、
    自信が持てそうです。

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