仕事・お金

修行とお金

魂といくらか融合しているだけではいけない。それは純粋な人間意識と異なり、至福や喜びや愛といった「心地良い」神秘の体験をさせるかもしれないが、その状態ゆえに、長くとどまってしまう場合も多い。つまり、魂と接触している”素晴らしい自分”に満足しているのである。この段階では、前回書いた敷居の住者は問題にならない。まだ錯覚に浸っているからである。体験し、心地よいと感じている「自分」は問題にならないのである。それが問題となるのは、私という錯覚の感覚が苦痛になったときのみである。そのとき、私への疑い、敵意、闘わねばならないという決意、そして探究つまり一騎打ちが始まりうる。それは「死ぬか、それとも死ぬか」という厳しい闘いである。

嘘の仕事

弟子は、知らないことを語ってはいけない。知っていること、体験済みであることのみ、語ることが許される。ましてや、お金をとってはならない。なぜお金が必要になるだろうか。教える者と教えられる者という錯覚をしているからではないだろうか。自ら知ったことを家族や兄弟と共有するとき、お金を取る者がおるだろうか。一円でもお金をとったら腐敗する。もっとお金が欲しくなる。腐敗した者から出る言葉、書かれる言葉は腐敗を受け継ぐ。

真理でお金儲けを試みてはならない。真理が仕事になるのはイニシエートだけである。自分が学びながら学んだことを教えてそれを仕事にするならば、それは楽である。しかし有害なのである。自分を研究者と位置づけてもお金を取るなら詭弁である。たとえば、偉人の絵画を見ても何も分からぬゆえ、本で勉強し、これはどういう意味です、これはこういう比喩です、などと言っても絵を体験してないから嘘なのである。それは分からない人が想像した頭の解釈にとどまる。

「食べていけないので」と言うならば、自分や家族が食べていける分だけ普通に働き、こうして義務を果たしてから、はじめて私たちは瞑想し学習し、奉仕すべきである。少し分かってきたから本を書こう、セミナーをしよう、講座料をいただこう、顔を出そう、名前を売ろう、ではいけない。彼は善良な人間であるかもしれないが、それは大変な錯覚である。歴史上の真理は、つねに崩壊したモラルを貪る者によって歪められ利用されてきたことを今一度、私たちは真剣に思い返したいと願うものである。

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