質問

具体的にお願いします

あなたは、「自分を克服」したり、何かに到達したり、内側に装備を獲得しようとしている現在の自分を見ることが瞑想であることを理解し始めるべきである。なぜなら、見られていないその動きが内なる美の世界を覆い隠しているからである。ここに書いてあることは事実ではなく、言語を通じて形而上のものをほのめかす媒介でしかない。言語はリアリティーとは関係のないものである以上、そのうえに想像や観念を私的に加えて持ち帰ることは、瞑想つまり集中の方向性を違える素因にしかならない。

自分を克服して何になるだろうか。克服するものがあると思っているのは誰だろうか。すべて自我の遊びと経験を助長するだけになる。本当は、現実の、ありのままの自身を見ることを自我は恐れ、自殺であろうと自傷であろうとそれを利用し、劇の材料とする。そこから離れた目を持つためには、大いなる背後の一者が訪れなければならない。彼がすべての錯覚を殺し、同一化の罠から自由にするのであり、個人の個人による動きは絶え間なく自己欺瞞であり、始まりから終わりまで延命策にして自作自演でしかない。情緒や思考を信じてはならない。やがて、一者がことを為し、アストラル性質、低位メンタル性質との同一化を難しくさせるだろう。

具体的に何を学習しどのような瞑想をすればいいかという質問に対して。以上から分かるように、することはない。強いて言えば、何かをしようとさせる動きを見ることである。感覚で捉え、それを見、それとともにただ在るだけである。個人がすることはない。個人の知性も一切介入しない。偽りのものは見られたら消えるだけである。繰り返すことで、やがてこの観察者の地位は自動的になり、やがて来たる観照者の地位の基礎を築くだろう。また、すべては衝動を扇動する力に対する無知と、無知ゆえの対処における無力に由来することが分かってくるだろう。これらのフォースは、オカルト的に言えば、統御された高位のエネルギーによって瞬時に上げられる。低位の振動に高位の振動を賦課することは、あなたのなかで基本的なこととなるだろう。そして、偽りの自己ではなく、真我にあくまで忠実であるかぎり、あらゆることが容易であることに気づき、より多くを知り、学び、知恵へと昇華させていくだろう。やがて思考の動きが統御されるにつれ、それらすら不要になり、知性の定義がより直観に傾きはじめるだろう。

ここまで読んでおそらく不満ではないだろうか。そうであれば、不満の感覚とともに在るのが瞑想である。求め、獲得するものはない。不満を満たそうとするあなたの動きは、すべて見られていないがために効力を及ぼしているだけである。これが分かるとき、いかにあなたが本当は内なるものへの準備ができていないかが分かるかもしれない。本当は、現実社会での劣等感を満たしたり、良い思いをしたく、幸せな一時を求めているかが見えてくるかもしれない。こうして、霊的なものさえ自我の養分にされていたことを知るかもしれない。

このように剥がしていくとよいのではなかろうか。

コメント

  • コメント (1)

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    • まさ
    • 2019年 4月 23日

    ありがとうございました。
    ほとんど読解できなくて、どう感想を書けばいいかも分かりません(^^;)
    例えばですが、こういう私みたいな知識とかが少ない時の場合は、
    もう読んでも分からないので、どうしていいか分からないのですが、、、
    何もしないようにすることはたぶんできません。私にとってはもっと自分の死を早めることになる感じがします。
    もう諦めているのですがね。逆に?ですが、
    ブログ主さんは私みたいな人のことを理解できますか?もう人間として終わってる、みたいな奴の気持ちとか、、。

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