むかしの話

友人へ

できるかぎり平易に書きたいと思っている。しかし友よ、時間は十分にあるのだ。

子供時分、ぼくらにとって、あらゆるものが生き生きと神秘にみちていたことを思い出す。真冬、明け方の澄んだ大気に薄着のまま身をさらし、真っ白の息に呼吸を遊ばせ、二人連れ、無言のまま、会話の強制感などまるでなく、沈黙のうちにこそ開陳される互いの腹を信頼し、たえず随伴する子供の幸福感に腰をおろしていた、かと思えばときにはここ、ときにはかしこと自然をさすらい、目的のないことにこそ喜びの予感を得て、邂逅し通りすぎる動物たちの挙動、遠くから聞こえくる知らない虫の鳴き声、大雨のあとの怒り狂った谷川の濁流、あやまって斜面を落下した鹿の死体、首の骨を折り、奇妙なまでのバランスで逆さのまま目を見開き死んでいる、凍えんばかりの恐ろしい孤独、ぼくらにあっては目撃することがつねに魔法の持続であり、時間を忘れて、何を考えるでもなく、出所もしらない敬虔な心持ちに目をみはりつつ、生命と、生命たちを眺め立ち尽くしていた、そしてみかん畑のわき道、村にあって見たことのない老人との出会い、目を合わせ、まったく同時に笑みをうかべ挨拶をかわす、言葉ひとつとはいえ、子供と老人とのあいだに共通した喜びのきらめきがあることを互いに感じている、まるで人生の暮れ方にも似て、あっという間に日は落ち、先ほどまで生きていた木々や草花までもが死の緘黙めいてよそよそしくなり、子供の時間ではないという脅迫の眼で、あちらこちらから帰宅を促されることを黙って受け入れ、別れの言葉は、腹が減ったなの一言、翌日のこと、深い将来のことなど微塵も頭をよぎることなく、それぞれの家へと、他人のように消えていく。

思い出は時間を超越してなお、ぼくのそばにある。何が理由か知らないが疎遠になった。だがこうしていま、きみに向かって時間をみつけては書いている。連絡先は知っているが、電話越しの会話は似つかわしくないだろう。かつてのような無言、永遠の現在とも呼ぶべき自由がやさしく横たわっている。病院のベッドはさぞ無機質で気味が悪いだろう。窓からなにか見えるのか、言葉のあずかり知らない表現不能の闇なのか、光が入りこまぬよう、晒し者にされる罪人のように、いつもカーテンをしめようとしているのか。だが自然は依然として慈悲の輝きに満ち、きみの帰りを待っている。親から勘当された話は聞いた。人を殺めようとしたのか。もうこだわるな。きみが回復することを心から願っている。




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