幸福

問題への対処法

どの人間にも荷の重い問題があるだろうが、それは、個人としてその問題に向き合っているためである。換言すると、自我はたえず問題を作り上げ、それを養分にし、人生というドラマに没頭するために問題を利用する。これが人間の好みの傾向であり、繰り返されるパターンである。そのため、主人公はいつも「わたし」なのであり、本当に「わたし」が人生のなかで物事を取捨選択し、道を切り拓き、難題に立ち向かうのだということを信じている。これでは疲れてしまうだろう。

瞑想者は、「自分」の力で出来ることなど何一つないことを知っている。合一のときでさえ、個人的な観点からすれば、「彼」の方からやってくるのである。すべてを破壊し、すべてを為し遂げるのは「彼」である。個人意識は、それをただ観察することができるだけである。

日常生活も同じである。「自分」が独立して何かを行っているという傲慢さから早めに脱することが肝要である。観察者の位置へと引き下がるのであるが、この技術を習得するためには通常、長きにわたる瞑想が採用される。その後、人間は「行う」より「見る」ようになる。このとき彼は目覚めており、鋭敏であり、何事にも気づいているため、自己による自己のための自己欺瞞が機能することはない。これがオカルト的な自殺のテクニックである。

例を上げてみよう。

家族を養うために、あなたは仕事に精を出しているが、毎日が苦痛で仕方ない。もしあなたが賢明であれば、「オーケー、ではその苦痛と共に在ろうか」と言い、仕事中の苦痛とたえず一緒にいる選択をする。仕事中、あなたは嫌なことを嫌でいいと認め、嫌な感覚とたえず一緒にいることを選択する。このとき一瞬で気づくはずであるが、嫌な感覚はその瞬間は消えている。かわりに、幸福感や解放感、喜びや平安がこころの中を支配していることに気づくだろう。これがヒントである。

平均的な人間は、「嫌でも仕事は頑張らなければならない」と言い、その「嫌」な感覚から逃避することで内的な衝突を自ら生み出す。しかし、賢明なあなたは「嫌」という感覚を「オーケー」と言い受け入れる。そして親しい友のように迎え入れ、こころというハートの我が家のなかで共に過ごすことを選ぶ。ハートセンターは情緒的なフォースの衝突から生まれる苦痛(この場合は嫌という感覚)を昇華させる役割を得意としている。あなたはハートのテクニックをこうして知り、共に在ることで喜びのなか、ただ仕事を行っている自分を見るようになるだろう。なぜなら、幸福であり続けるためには、つねに見ていなければならないからである。

以上の技術において重要な点は、ハートで幸福の感覚を実際に味わい続けることである。オカルトの世界では感覚がすべてである。感受性を養うことで、フォースを肉体脳で知覚できるようになり、フォース同士の衝突をつねに未然に防ぐことができるようになる。また、衝突後の不快感を伴う凝結したフォースに対して、「目」を使用することができるようになる。目はエネルギーを方向づける。つまり魂からの高位のエネルギーを、目を通して不快な対象に注ぐのである。高位のエネルギーの振動に対し、低位の波動はつねに従順である。容易に下は上に従い、高い波動で振動するようになる。そのため、彼はつねに幸せなのである。

最後に、多くの人間は、自分が幸福ではいけないと考えている。幸福を恐れる者さえたくさんいる。しかし幸福感は、魂においてつねに正常のものである。われわれがこの技術を習得したとき、おそらくはこう言うだろう。「なんて簡単なことだ。なぜ今までやらなかったのか」と。

それはわれわれが個人の欲望と恐れを優先して生きてきたためである。自然体に戻り、真我である魂と共につねに在ることを今すぐ享受しはじめるべきである。そう、今すぐ。すると全ての行動が喜びに満ちていることをわれわれは知るのである。

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