苦痛

天真爛漫

精神は想像されている以上に忍耐強く、打たれ強い。人生を通し、ほとんど絶えずいじめられ、虐げられているにも関わらず、それが大人たちにとっての自分であり、わたしであるという理由で、何とか生きおおせている。

死なんばかりの苦しみ、悲しみを、われわれの多くが感じず、肉体的な、情緒的な、メンタル的な趣味や娯楽、あるいは精神科の薬で何とか紛らすことができる程度の苦しみしか知覚できていない。

余計な記憶は蓄積されるが、子供の頃の意識状態を思い出せる人はほとんど存在しない。それは、想像されている以上に幸福で偉大な意識であった。知らずして、大人はたえず子供に憧れており、子供のふるまいと笑顔にこころ奪われている。

子供が戯れている、精神以前の何か、魂意識の断片のようなものは、かまえないし、外部のなにものにも敵対しない。それそのもので満ち足りる爆発的な無邪気、天真爛漫は、それそのものに絶え間なく固有のものである。

この種の歓びに見放された人たちが大人である。あらゆる欲望に溺れ尽くし、相応の痛手に苦しみ果てた結果としての、精神なる留置所に囚われて、何が間違っていたのか、そして間違っているのか、他者ではなく、己れに対するその罪状について理解が及ばぬまま、恐ろしいばかりの自作自演、自縄自縛に悶え、「ここから出してくれ」と、そう願っている。

縄は解いて良いし、牢の鍵は内から開けられることを大人は気づかない。換言すれば、罪は認識された時点で許されるのである。それは体験を通して理解されるものである。だからあまり自分を不幸にしないようにすべきである。魂を曇らすだけの、価値のない習慣に目を向けないでほしい。そうではなく、内なるものと在るかぎり、思い出せる時が来るから。それは期待している時ではなく、前触れなしに突然やって来る。そして、われわれはその何か、言葉ならぬ偉大さに包まれて、子供になったことを知るだろう。生は喜びとなる。個人としてではなく、魂としての、地上の楽園と化すだろう。この意識状態がどれほどかけがえのないものであるか、それについて言葉は永遠に無力である。ただ体験だけが説得力を持つ。

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