奉仕

奉仕の脅し

弟子は、自分を諦める決意をした人たちである。彼は自分がないことを見た。したがって、自分の進歩という利己主義と矛盾を放棄している。自分の所有物という空想も放棄している。すべてが生命のあらわれであり、生命である全体のものであり、個人や分離の思想あるいは感覚に興味を抱くことを否定する。弟子は、真理を求めるのではなく、真理ならざるものを見て、無知と逃避を追い払う者である。弟子に報酬が与えられたとしても、報酬は副次的なものであり、新たに接触したアイデア、直観により解読可能となった目的を、より正しく、より強力に推進するための装備としか見なさない。奉仕という言葉には、しばしば利己的な汚臭がする。奉仕は、魂である弟子の喜びの表現であり、愛の発露であり、徹頭徹尾、感謝にみちた自発性である。それは行為というより、願いであり、意志である。

年齢制限

記憶は常に不確かである。たしか、49歳と63歳が秘教では進歩の節目と捉えられている。49歳まで確固たる奉仕が確立されおらねばならず、また63歳まで何かしら実績を残してこない場合、その生涯での進歩の機会は終わるとされている。

これは脅しだろうか。そもそも進歩とは誰の進歩だろうか。これを聞いて、「あと数年で49歳だから奉仕しなければ」と動揺する人がいるかもしれない。「私は63歳を過ぎているので今から学んでも無駄なのか」と落胆する人がいるかもしれない。しかし、自我が夢見る進化は存在しない。したがって、このような年齢制限を私たちは無視するだけである。これがある側面からして幾ばくかの事実であっても、自我ではない私たちには関係がない。私たちは70歳でも90歳でも学べるし、自分の進歩という妄想を気にせず愛に生きることが出来る。年齢制限の記述は、たとえ第五段階のイニシエートが書いたものと言われようが、気にするだけ時間の無駄である。これは一部の兄弟を悲しませるものである。何歳であろうが、私たちは自我の利益のためには働かないし、またそのような進歩であれば拒否するだろう。私たちの指針は常に内側であり、刻々の内的体験であり、それは善と正しさと愛を生きるよう私たちを鼓舞している。たとえ何歳であろうが。

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