孤独

女に無縁の孤独な男

人々が浮かれはじめる年末年始、彼は言いようもない苦痛に毎年おそわれる。会社の忘年会、彼は体調不良を理由に断った。彼が来ることを誰も望んでいない。クリスマス、残業終わりにひとりコンビニでチキンを買った。釣り銭をもらい外に出るや、女連れの男が彼を見た。暗く、猫背で、しなびた顔は卑屈にゆがんでいる。屈辱を感じるも、おのれの無力に伏し目がちになり、自分の容姿の醜さを呪った。家ではテレビをつけなかった。きらびやかな世界は彼にはまぶしすぎた。椅子に座り、先ほどの男の目つき、隣にいた綺麗な女を思い浮かべながら、悔し涙をうかべた。それから売れ残りのチキンを食べたが、堅く、歯と歯茎が痛かった。

学生時代、親にはこう言われつづけた。東大に合格すれば世間の目は逆転する。彼は二浪したが落ちた。結局、慶応の薬学部に行き、何とかそれなりの製薬会社に採用されて、それから二十年、必死の努力で出世するも、自己と世間に逆転の兆しはなく、孤独のさだめを伴侶として、諦めの気持ちで日々に歯を食いしばっている。

四十を過ぎ、独り身で金はあるが、ついぞ女に縁がなかった。近寄りがたい人間、小さく隅っこにいる人間、吃音のため職務上の会話もままならない人間、緊張が伝わるため話すのがためらわれる人間、そのように見なされていた。ひとりでもいい、一箇の男として自分を見てくれる女性と出会いたかった。人並みに男女の会話を交わし、人並みのデートを楽しみ、子供に恵まれて、人並みの家庭を築きたかった。

時折り飲むシャンパーニュをあけて、彼は寝室からベランダへ出た。高層階から眼下に東京を見下ろしても、彼の眼差しは敗北感に満ちていた。酸味の力強さが、胸のうちにふくらみもりあがるように、長く余韻のつづく上質な感覚のなかですら、かつての王族の品格も格調高さも彼の体内に流入することはなかった。下品なまでに酔っ払い、ベランダから下界に向かって愚痴をこぼし、なぜ俺だけがとつぶやいた。一本あける頃には酩酊も深まり、孤独な室内で腰を落ち着けることなく歩き回り、ついには女への怒りと欲求に耐えきれず、電話をかけ、「一番金のかかる女を」と業者に言い、部屋へと呼びつけた。

比較の虚しさ

いくら酒を飲み、いくら女を抱こうが、彼の満たされぬ思いは強くなるだけである。さらなるものを求める人間の性質、この自我の衝動に目を向けたら問題は解決するのではなかろうか。外の世界で何を獲得しようと、彼は精神的に失敗する。なぜ人より優れていないと心が落ち着かないのか、この問いをおのれに発するまで、彼の精神が深く揺り動かされることはない。彼は劣等感から抜け出すため、金を、力を、そしてとほうもないものを求めて、荒廃した惨めな境遇にいま立たされている。それがあやまった歩みであったことを認めるとき、彼は、苦痛を道しるべとして、正しい道とは何なのかを真剣に考えはじめるだろう。

外の世界は、ある人、ある状況下においては地獄である。だが悪意のある地獄というものは存在しない。治療に痛みが伴うように、地獄の苦痛はわれわれに闇のなかの光を見せてくれる。闇という錯覚を光が露わにしてくれる。だが、われわれは無知で臆病なあまり、地獄を見ず、そこから這い上がること、逃れることしか頭になく、あらぬ方向に目をむける癖がついている。地獄から抜け出したいのなら、地獄と向き合わねばならない。おのれの苦痛の感覚を真正面からあるがままに見なければならない。そのとき、道という比喩が何であるかを彼は悟るだろう。

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コメント

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    • 理彩
    • 2018年 12月 28日

    はじめまして。双極性障害のブログを書いている理彩と言います。
    最近、いつも拝見させていただいてます。全ての記事を読みました。

    そこでようやく満を持して質問なのですが、
    亡くなった私の父もかなり瞑想をやっており、
    ブログ主様の言及にある、アリス・ベイリーの書物が家にありました。

    父は、私たちの見えない色が見える人で、
    色を使って治療をしていると言ってました。

    私は今治療にすごく興味を持ってるのですが、
    先日、自分自身でもすごく驚いていますが、
    犬の治療に成功したようなのです。

    これはブログの記事に書きましたので、
    お暇な時間がありましたら読んでいただけると幸いです

    そこで疑問なのですが、色を使って治療するという意味について、
    なにかご存じではないでしょうか?

    お忙しいかとは思いますが、今後の治療の機会があるとして、
    なんとか糧にしたいと思っています。
    なにかご存じでしたら、教えていただけると幸いです。

      • Author
      • 2018年 12月 28日

      以下、私の解釈です。性質上、言葉に語弊が生じます。
      色はエネルギーのことを指しており、自然界の七つのエネルギーはそれぞれ異なる色彩を纏っています。治療は、エネルギーとフォースの問題です。まず、存在するすべては、エネルギーとフォースによるものです。エネルギーとフォースの衝突、あるいはフォース同士の衝突により病気が生じ、病気を治療するのもまた、フォースに対するエネルギーの働きかけです。色つまりエネルギーによる治療は、専門的な知識が必要です。ただし、知識がなく治療できる方も稀にいます。犬の治療はどのように行われたのでしょうか?

        • 理彩
        • 2018年 12月 29日

        ご教示いただきありがとうございます。
        私の場合は、知識がないため、たまたまだったのかもしれませんね(^^;)

        真剣に愛のイメージをこめて、ひたすら手のひらにエネルギーを注いで、
        いろんな箇所をなでたり、声をかけたりし続けました。

        本当は、父のように治療ができる人間になりたい、
        そういう気持ちがあったのですが、なかなかハードルは高いと思います。

        これからアリス・ベイリーの本も勉強して、
        瞑想もよりよく出来るように頑張ってみようと思います。
        ありがとうございます。

        また質問させてもらうときがあるかもですが、
        そのときは何卒よろしくお願いします。

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