女教師の手紙

子供たちとのあの美しき日々は幻だったのでしょうか。二十七歳のこのわたしは、いまや小学校の教師でもなく、むろん、数限りない無邪気と騒々しいばかりの笑顔に囲まれて、「先生」と呼ばれることもなく、手を引っ張られ、縦横無尽に、うさぎ小屋のひまわり花壇から、プラタナスの木陰の涼し気な運動場の端っこまで、途切れることのない快活と談笑に振り回される、といったことも、もはやありはしないのです。わたしから、彩りゆたかな眼前の世界をそっくり灰色がかった風景へと塗り替えたのは、ほかならぬ子供、たった七歳の、学校へ行きたがらない、校長先生のご友人のひとり娘、あの子の言葉ではなかったでしょうか。

ランドセルを両手で抱えるのが精一杯の、入学式を終えてまもない女子生徒が、いじめでもなく、学力の問題でもなく、なぜまるきり授業に参加しなくなったのか、校長先生のみならず、このわたしとて、ひどく不可思議でこころを痛めていたのは言うまでもありません。話をすればなんとかなる、そう思ってご自宅を訪問させて頂いたわたしは不躾との誹りを受けました。いえ、そのような時代なのです。教師の役目や使命、などという言葉は今のこの社会からは必要とされていないのですから。

単刀直入に言いますと、七歳のMちゃんが学校に来ないのは、このわたしが原因だったのです。「あなたはわたしの先生じゃないから」と言われたときには、その場に崩折れんばかりの目眩に襲われました。生徒に好かれ恵まれた教師であるわたし、そう心のなかで笑みを浮かべていた自分のすがたが醜く浮かびあがり、重病の患者が痛みや苦痛を知らずにいるならば、それは精神の病いであるとのヒポクラテスの箴言を連想させました。

ほとんど震えながら尋ねました。わたしは担任の教師、なのにどうして先生でないのかな。答えはありません。子供部屋とはいえ、心配するご両親と私に囲まれた状況が、まさに緊張と圧迫を生み出していることを懸念しましたが、Mちゃんの顔に蒼ざめたところはなく、ただ一点、わたしの顔を凝視する七歳の眼差しが、むしろわたしを戦慄させ、うなじのあたりを突き抜け寒気を与えてくるのでした。逃げ帰った、または混乱を助長した、とのご印象を生み出し、次の日の職員室、まわりの先生方のことなどお構いなしに、校長先生から叱責の罵声を浴びせられた時のさまを覚えておいでのことと思います。取り乱し、泣き出してしまったわたしを抱きしめ慰めてくださった御厚意には感謝の念しかありません。

後日聞き忘れていた問いをどうしても抑えきれず、ふたたびMちゃんの家を訪問したとの噂は本当でございます。先生がわたしでないのなら、それは誰なのでしょうか。誰にも言わないという約束で教えてもらった答えについて、ここで話すことができないことをご容赦ください。それは当惑させられるものでした。帰りに辞職届を提出し、受け取ってもらえず、休職というかたちで今日まで闘病生活を続けている無力なわたしに対し、根気強くねぎらいと励ましのお手紙をくださるあなたに、敬慕の念を込めて、今わたしは元気になりつつあるということをお伝えさせてください。

追伸。毎日この病室へ来てくれる方がいます。わたしを笑わせ、楽しい気持ちにさせてくれます。彼女の名前はMちゃん。学校へ来なかったあの子です。

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