孤独

孤独の声

われわれの目が外を見ているかぎり、極端な孤独は苦痛なだけである。「わたし」のことを心配してくれる者は誰もいない。「わたし」のことを気にかけ、何でもいいから考えてくれる者が地球上にいない。忘れ去られた人間、関わりの世界から拒絶された人間として、「わたし」は疎外感と劣等感に苦しみ、日を問わず、自分で自分をいじめ続けるだろう。

この自己虐待が長きにわたるうち、思考のバランスは崩れる。常軌を逸した思想傾向が自己防衛本能として主流になる場合もあれば、苦痛に耐えることを断念して自殺する場合もある。前者の場合、先日の川崎の殺傷事件のような末路は十分に考えられることである。生い立ちや性格、悲惨な現状やトラウマの軛、このような外的運命に対して、われわれは立ち向かう必要はない。それはこれからも起こるだろう。この個人的な物語の登場人物にして主役であるという責任を負い続ける必要はない。何より自分をいじめ続ける必要はない。

われわれの宿命が孤独であるのなら、その苛烈な環境は、自身に対して強い力を及ぼすだろう。強ければ強いほど好ましい。なぜなら、まだ感受性が未熟であったとしても、強力なものに対しては看過できないからである。全き孤独が美でありうるには、外の世界から影響を受けないで良いこと、そしてそのような意識状態があることを理解しなければならない。われわれが受けてきた教育や、強いられてきた思想のなかで苦しみ続けなくても良いことを理解しなければならない。これは逃避ではない。人生は戦いでもない。自身を知らないことが逃避であり敗北である。

われわれは物語から抜け出す必要がある。「わたし」の人生が孤独の一色であるのなら、その運命や出来事を自由にしてやり、同時に、すべての根源である「わたし」という感覚、「わたし」という強制からも自由になる必要がある。それならば、探求すべきものは唯一、「わたし」しか残っていない。孤独という長きに渡った苦痛は「わたし」というもっとも間近にあった最後の扉へ導いてくれた。目を瞑り、静かになり、感情と思考が落ち着きを得て、「わたし」への集中が一点化の極みに到達するとき、われわれの孤独は、「孤立した統一」と呼ばれてきた意識状態へと脱するだろう。すべての謎は解け、問題はなくなるだろう。これが、孤独感の言わんとしてきたことであり、求めてきた合一、つながり、一体感である。

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