質問

嶋さんへ

わたしには主張や反論というものがなく、また、それら個人の色彩を帯びたフォースに反応するために必要なものと関わりがないため、議論を交わすということができません。正当な必要があるのであれば、個人的に振る舞うこともできますが、正直に言えば、何も話したくなく、考えたくなく、ただ恩寵としか言いあらわしようのない意識にとどまっていたいのです。これもひとつの段階であり、より高位の見地からは、魂意識への初心者の反応であり、乗り越えられねばならない課題(このようなものがあるとして)を同時に認識しています。苦痛をテーマとしたこのブログが終わる理由は、友人に対する責任の終焉、そして、それに伴う「苦痛」というテーマに焦点を当てる必要性の解除、また、苦痛の終焉に関してはそれなりに書いてきていること、したがってこれ以上は当人の実践にかかると判断したこと、最後に、これが最も大きな要因ですが、そもそもわたしは書けないということです。書くことがありません。冒頭申しました通り、主張を持つことができない状態です。これは次のことを同時に意味します。本当は、すべてが、われわれが神と呼ぶ存在において完璧であり、そこには何の争いの余地がないことを知っているということです。この認識において、当初における対象と責任がなくなったと判断した今、何か言いたいことはないのです。しかし仰る通り、このブログを一般公開したことで、新たに対象と責任が生じたというのは事実であり、これに関して、「関わりのある人たち」というのは広義であり、コメントをしない読者を除外したもの言いではないことをお答えすると同時に、ただし、方法において今わたしには分からないことを申し上げた、という次第です。わたしは魂意識に没頭していることと同じくらい、あるいはそれ以上に、霊的に美であるものの分かち合いのための助力というものに喜びを見出します。ただ、この意志に対して、書くという手段をとることが出来るか分からない、またその手段に興味がなく、今のところは、質問に対しては丁寧に答えることができると言うことにとどまります。

コメント

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    • 2019年 2月 14日

    先般、憤りで文章が乱れたことは謝罪したいが、納得はできていない。
    我々どもの世界で揚げ足取りは簡単なのだが、貴殿の矛盾点を職業病的に扱わないように諫める。
    なぜならば、我々どもは嘘を言っているかどうか見極めることに長けている種族だからである。
    恐らくは、我々どもの知らない境地があるのであろう。
    それだからと能なしに引き下がるつもりもない。

    そこでだが、私は読む側であって、コメントなどで参加したい側ではない。
    質問には答えるということだから、質問しようと思うが、電話か、(或いはこちらから出向くので)直接では無理であろうか。コメント欄に書くのも難儀である。わざわざプライベートな話を人に読まれたくはない。私の法律事務所のホームページと私の個人情報を先だって貴殿に提出するので一度直接お話をしたい。いかがであろうか。

    ちなみに喫緊の質問がある。「どうにもならない状況にあってなお魂に救済の祈りを捧げるべきである。目を向けられた魂がそれを無視することはない。反応は即時に感じられるだろう」とあるが、私は祈りを捧げてみて、助けがない。

    私は昨今、自分が恐ろしく感じられる。なぜならば自殺しかねないからであろう。
    お門違いな推測なきよう予め言うが、私は現在も第一線で働いており、精神疾患と認定されたことは一切ない。何人も知り合いの精神科医とはしばしば会食し、むしろ彼らの精神的な悩みを聞いてやる側である。西部邁氏が昨年、計画的に自殺されたがご存じであろうか。彼が精神疾患であるなどとは、当たり前の頭のある者であれば誰も思わないであろう。私は彼の気持ちが分かるような気がする。

    話を戻して質問を簡潔に言うと、祈りについて詳しく考えをお聞かせ願いたい。また重ねて言うが、コメント欄に書くようなことは今後無きようにしたいので、その件に関してもお忘れなきようお願いしたい。

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