心せよ

言ってはいけないことがある。言って良いか、問題があるか、微妙なことがある。言い方に気をつけるべきことと、どこまでの言い方なら良いか悩ましいこともある。基本的に、弟子は黙っておくように訓練される。それは狭義には弟子があえて痛い目に遭わないようにするためであり、また広義には全体のためにならないからである。したがって、どこまで書いてよいかは、常に難しい。しかし吟味を重ねたうえ、またある種の確認のうえ、責任を負うことになっても話した方がいいと思うこともある。覚悟の上で書いても、通常、特別な反応はない。しかし一人でもその意義に気づいてくれるならば、罰を受けても書いた価値があると思うことがある。

ところで、試験の内容を知らされていたならどうだろうか。試験の答えを知らされていたならどうだろうか。それは試験と呼ばない。白紙の状態で直面してこその試験である。試験と知られることのないものが試験の意義を持つ。そこで、実は毎日が試験であると知らされたならどうだろうか。自分が想像している以上に、偉大なる方々の心配そうな眼が、今まさに注がれているとするならば、どうであろうか。あなたの成功を実は気にかけている方がここにおられるとするならば、どうであろうか。それを信じない人は良いとして、信じる人がいるならば、彼はどうなるだろうか。彼はどうするだろうか。このことについて一時間考える人はいるだろうか。あるいは、このページを閉じたときに忘れてしまうだろうか。おそらく、書けるのはここまでである。

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