秘教

怠惰と苦痛

怠惰とは、習慣の結果として固定された何らかのフォースの引力に対する盲目である。この抵抗が、健全でサトヴィックなフォースと衝突し、人間を広義に病気とさせる。第四光線の弟子はタマシックに陥りやすく、新たなるリズムを嫌う傾向にあるが、これは類似の四である人間においても同様であり、新たなるものへの恐れ、見たくないものへの蓋、というかたちで表れており、不活発で慣れ親しんだ振動率を居心地のよいもの、不安にさせないもの、世間の同類にして仲間でありうる源として無意識に隷従する傾向がある。これが一般大衆からは思考能力を奪い、知的な人間にはグラマーやイリュージョンとして霧と靄をかけ、世界と人間を混乱と混迷に陥れ、物質主義の悲しみで人々を苦しめ続けている。つまり脱する能力を奪っているのである。

見る気がない。知ってはいるが知らないでいたい。まだそのときではない。自分には休息が必要。それについて考えたくない。いま考えるべきではない。何も言わないでほしい。自分を放っておいてほしい。自由の許可をいただきたい。いつか帰るから先延ばしにさせてほしい。

これらの言い訳が無意識のなかでフォース同士の衝突という抵抗になり、平均的な人間はさほど苦痛を感じぬまま堕落しつづけ、比較的進歩した人間はその進化に比例して苦痛を知覚し、弟子やイニシエートのような「誓約」している人間は、一般的な意味での苦痛ではなく、より精妙な意味での苦痛つまりエネルギーとフォースのあやまった関係づけに伴う苦痛を、個人的な枠を超越して、痛々しいばかりに味わうため、見るしか道がなくなる。さもなくば自殺する可能性すらある。場合によっては、何が苦痛なのか分からないが苦痛ということに苦痛を感じることになる。そのため調べるのである。

このとき、弟子は言語の世界から漸進的に撤退し、知識という苦痛の原因を知恵へと変性させ、思考という苦痛を純粋理性のエネルギーに服従させる。このようにして、彼は分からないことがなくなっていく。また、分からなくさせていた原因の理解とその否定が伴う。考えて答えを導き出すという原始的かつ不確実な作業を卒業して、落ちてきた抽象的アイデアに感応して解釈するという瞬間的な能力に習熟するよう、必然的に諸体の浄化と並行して努力することになる。低位具体マインドは高位抽象マインドに席を譲るのである。このようにして精妙な苦痛はエネルギーとフォースという関係のなかで理解され、諸体を用いた物質界での行動というものはあくまで二次的なものとなる。治療もそうだが、働きかけるのはフォースであり、個人でもなければ彼の悪癖でもなく、別言するなら、結果ではなく原因である。

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