愛意識

愛という言葉は概して誤解されており、人が「わたし」という偽りの殻におのれを閉じ込め続ける限り、今後も誤解され続けるだろう。

愛は満ち足りた静かな全体意識である。ゆえに、要求しない。自分と他人はない。このように、小さな自己への集中を解除したことによる、自然の波長であり、際限なき美の広がりである。

この愛意識に包まれることが許された時、人は自己を肉体に限定せず、すべてとして生きることに大なり小なり成功する。意識の報酬である。放射する愛の小さな中継点として、個人的な好き嫌いの生活から、すべての人の生来の権利であるものを覆う障害の除去へと注目が移行する。

われわれは自我意識ゆえ、注目を肉体や精神としての「わたし」に限定し、図らずも、自らを苦痛の意識へ追い落としている。自分を愛するという利己主義の感覚が可能になるのである。悪はおのれにあり。罠はおのれにあり。かくして人は内側を探求し瞑想を用いるようになる。

苦しむ者が強いられる内的探究、その正確性が重要視されるが、基本は古来より数多与えられている。子供が読み聞きする御伽噺や昔話であれ、利己性と非利己性の指針を説いている。おのれかすべてかの選択、一切の分離の否定、グラマーの識別とイリュージョンからの自由。愛意識がハートに輝き出す。

いまや「愛」という文字、一般的なイメージや概念、これらはそれそのものを示すにふさわしからぬ地位にまで貶められた。愛の真の意味、意義、意識を解き明かすのは、探求者自身をおいて他にいない。

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