非人格

感情の喪失について

弟子がアストラル体の統御を完成しつつある時、一般生活に支障が出る可能性がある。進化の内的定義が、新しい意識状態の知覚であることを前提に、この段階もまた、平均的な人々とは異なる意識状態を弟子にもたらすことになる。そのため、日常生活において人々と同様の情緒的な反応をすることが難しくなるのである。しばしば、無表情、ミステリアス、何を考えているか分からない印象、怒っているかのような懸念を人々に与えてしまう。

事実、彼のアストラル体はかつてのような振動から自動的に隔離されるため、通常、人間らしいとされている喜怒哀楽というものを表現することが困難となる。必然的に、低位の振動を嫌うために口数も減り、肉体よりもエーテル体としての感覚が意識内にて上回るようになり、人間の知覚する世界からの主観的な撤退が加速するようになる。この内的な進捗と、これまでの外的な生活を両立させようとするとき、しばしば問題が生じるのである。

まず、周囲の無理解のなかで、彼は人格を喪失していく作業の推進を見守る観察者の位置に自らを置くこととなる。一方で、以前の彼を知っている人々は、彼が別人になったかのように感じることで恐れ、不快なもの、病的なものとして解釈することで彼の内的な引き下がる過程にしばしば足を踏み入れ、引き戻そうとする。しかし、この段階の弟子に対して、周囲の働きかけが成功することはほとんどない。このとき、弟子は多くの親しみ深かった人たちと離別することにたいていはなるが、それを平然と見守ることになる。それは皆が通る道である。

弟子はこの段階でマインドを超越していないため、まだ人間よりの意識に近い。そのため、彼なりの困惑を覚えることになる。この点で悩んでいる弟子に対して言えることは、自らの内的感覚に忠実たれ、ということである。まだ弟子は人々に気を遣う気持ちが残っている。一般社会での常識的な義務はこなし続ける必要があるが、内的に知覚される合一への自動的な推進力を遮断する言い訳を自我に作らせてはならない。注意深くおのれを見張り、自我の得意技である詐欺と自作自演の罠にはまらないよう、そして眠りにつかないよう、つねに魂とともに在るべきである。

そして、これから住まう意識の領域が著しく変わるということを肝に銘じ、顕現している客観的な世界にとどまろうとする自我の傾向からたえず離れ立ち、見る必要がある。明確に、弟子は撤退の準備を整え、人々との関わりにおける線引きをし、個我意識の分離感が消失するまで、ひたすら内的な王と共に在り続けるべきである。生きながらの死を恐れてはならない。あなた方のひとつの時代が終わるだけであり、新たなる意識が視界に広がり、自分が変化したのではなく、もとの純粋さへ帰ったことを知るだけである。

コメント

  • コメント (4)

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    • 高瀬
    • 2019年 1月 01日

    あけましておめでとうございます。

    今年もよろしくお願いします。

    瞑想がより深く出来るように
    毎日頑張ります。

      • Author
      • 2019年 1月 01日

      瞑想が人を裏切ることはないでしょう。
      人の準備ができていないとき、瞑想の必要性を感じないため、
      内的な実在が人間の意識に働きかけることができないというのが一般的な人々における実情です。
      瞑想をつづける人に、その真剣さに、実在はかならず反応し、
      人はそれを肉体脳で感知し、偉大なるものの存在を体験により確信し、
      新たなる意識の領域にますます信頼と愛着をよせることになるでしょう。

    • 高瀬
    • 2019年 1月 01日

    ちなみにですが、
    それぞれが瞑想ができているということ前提に、それぞれの瞑想のやり方は十人十色ですか?それとも、できている人は基本的に同じやり方をされていますか?
    瞑想のレベルにもよると思いますが、ブログ主さんが思う、『できている』レベルでお答えいただきたいです。

    瞑想のやり方が載った本が沢山世に出ていますが、実家に瞑想の入り方や終わり方などを言葉で具体的に表現する事は可能なのでしょうか。

      • Author
      • 2019年 1月 01日

      十人十色ですが、それは同じ個人が存在しないという意味においてです。「できている」人は、基本において同じであり、その表現が異なるだけです。また、「できている」という意味は、その人のレベルに応じて「できている」ということです。瞑想は、一般的な人間においては、個人と魂との合一を指しています。したがって、個人と魂との間に橋をかける必要があります(後にモナドまで橋がかかります)。この橋はしばしば専門的にアンターカラナと呼ばれており、瞑想によって建築が進みます。瞑想を正しくつづけることで、まず魂の波動を感じるようになります。これは人間の肉体脳で知覚できるという意味です。この接触が当面の目標であり、のちにその波動つまりエネルギーを使用することで意図的に橋の建築に必要なことを行えるようになります。

      「瞑想のやり方が載った本」は、おおむね、書いている方が瞑想を知りません。一握りの書物のみが有益です。わたしは多くを知りませんが、クリシュナムルティ、ラマナ・マハリシ、ニサルガダッタ・マハラジ、アリス・ベイリー、これらの方々の書物の有益性は保証できます。わたしは何も知らないまま行いましたが、ただ静かにしていること、静かであることを妨げているものを見ること、妨げているものへの対処法の試み、このようなことを最初に行いました。魂との接触は、わたしの場合は生まれつき確立されていましたが、それが魂の波動であることは知りませんでした。それが良いものか悪いものかも分かりませんでした。調べるうちに、先に挙げた方々の書物から自分の瞑想の正確性と、状態の意味合いについて学びました。

      「瞑想の入り方や終わり方」は、瞑想そのものが教えてくれると思います。瞑想はあやまったフォースの衝突を正常化させるものであるため、たとえば長時間、無理矢理行うことは瞑想とは相容れないやり方です。疲労や集中の欠如がその終わりを教えてくれるでしょう。はじめは、定期的に、同じ時間帯に行うとよいと思います。静かな状態をまず知ることです。これは漠然とした具体的な言葉での表現です。やっているなかで、静けさの意味が分かるようになると思います。あと、結跏趺坐という足の組み方を調べてみてください。この座り方も助けになります。空腹の状態、菜食と少食の習慣も助けになります。時間の目安としては、結跏趺坐で40~50分ほどではないかと思います。

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