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批判のお言葉

笑ってしまった。偽物が本物ぶるものだから自己満の文章から汚臭が漂ってるよ。人を見下して自称イニシエートの肩書きからふんぞり返ってさぞ楽しいんだろうな。日頃から説教癖がひどく嫌われてるだろ? 物真似もセンスがないんだから、やめるやめる詐欺もほどほどにしてね。

目の前は光である。暗く、悲しい心が終わるのはもうすぐである。あなたは、あなたではないもの、あなたがコントロールできないものに揺さぶられており、本来のあなたは美と愛の放射する光である。いくら辛く、憤懣やるかたない状況にあってなお、あなたは見捨てられておらず、つねに個人ではない真我があなたを見ており、助けている。驚くほど近くで、あなたに、真の自己を気づかせないようにしている力に働きかけている。

いま、あなたの想像や感情は、あなたを傷つけている。これらのものを信用してはならない。これらは、あなたを生きながらえさせるための道具である。あなたが、自分に隠れて自分を操るための道具である。あなたは知らないふりをしている。あなたは見るという意味が分からないのではなく、見ないようにしている。見たくないと本当は思っている自分に気づくことはできるだろうか。真我の直接体験を妨げているのは恐怖である。あなたが依存しているもの、現実だと思っているもの、大切に思っているもの、これらすべてが終わることに加えて、何より、自分自身が消え去ることへの恐怖である。

あなたは誰も傷つけようと思う必要はない。ある少女が絵本の中で怖い思いをして泣き出してしまった。母親は、狼に食べられた子犬の話は本当ではないと言い、絵本を閉じ、泣きわめく少女を抱きしめた。

傷つけたり、傷つけられたりするのは絵本の世界である。あなたは絵本のなかの筋書き通りに生き、嘆き、喜び、最後に死ぬが、それらの感情も、想像も、身体も、いずれもあなたではない。あなたであるものを見出すため、絵本は閉じられなければならない。母親の優しい慈悲のまなざしと抱擁に気づくことができるかはあなた次第である。まだ絵本のなかの物語を信じ、その筋書きに苦しみ、泣きわめくことを選ぶだろうか。それとも「閉じる」ことを選択するだろうか。閉じるとは関わりを断つということである。あなたではないものとの断絶を確固たる決意のもと行使し続ける「閉じる道」である。それは暗い道である。しかしあなたという個人の物語から抜け出すにつれ、道は明るくなる。あなたは自分でないものとの関わりを断ち、闇に自分一人を放り込み、孤独に苦闘し、最後に光の抱擁によって自身の作りだした絵本の世界を閉じる。そのときあなたの視界に広がる世界がどれだけ美しいか、どれだけ慈悲にみち、広大で、喜びの至福にあふれているか、個人のときには信じられず、想像もできないものである。

あなたは彷徨っているが、「本物」は目の前であり、妨害する自分を見ることで静かにおのれと関わりを断ち、ふるさとに戻ってきてください。

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