錯覚

暗黒

暗黒は光を知るため不可欠なものである。しかし暗黒の中で霊を捨て、小我にて自暴自棄となるのは暗黒の惑わしを助長するだけである。暗黒を光の前兆と知る賢き者は、暗黒にあって、揮いうる自らの最大善を懸命に歩む。暗かろうが、明るかろうが、正しさと善は霊へと導く。しかし到達は頭の妄想であり、真理は現在にあることを忘れてはならぬ。現在できることが試練である。賢き者は現在の意義を知り、急ぐという発想を持たぬ。もしゴールがあるとするならば、そのための道は現在にしかない。そしてゴールも現在にしかない。このことを知る者は、つねに満足を知り、ひたすらに現在へと邁進する。知らぬ者だけが、空想のゴールへと心を飛翔させる。その羽根は折れ、地へ落ち傷むことで想念を惑わしと知る。豊かな経験者は思考についてゆかぬ。イメージを貪らぬ。それらは注目という養分を与えられず、自然と訪れ来る集中によって死滅を得る。

暗黒の暗がりに恐怖を覚える者は、全てが神であることを思い出さねばならぬ。見るもの(者)も見るもの(対象)も神である。神のあらわれは神である。暗黒にも光にも神は偏在する。神なくして何もありえはしない。神が見えぬのはおのれの歪みにすぎぬ事を知り、暗黒にあっても倦まず弛まず現在を磨かねばならぬ。全てが神であり、神のあらわれであり、はたらきであることを知るならば、恐れることはないはずである。小我にて分離を貪るときのみ恐れは生まれる。すべてが我にして神であるならば恐れは生まれぬ。惑わしの背後に神を、結果の背後に原因を見る者は賢き者である。

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