教育

瞑想なき人生

極度の苦痛で失神する人や、度をこえた苦悩の末に発狂してしまう人がいる。彼らが瞑想を知っていたら、そうなる前に、自分を治療することができただろう。苦痛は即時に消え去り、静かで、平和で、純粋な愛に包まれただろう。苦痛を扉として、個人意識を超越し、高位の意識から、苦痛という錯覚に覆われていた個人はいなくなったと言うだろう。

卑近な例を持ち出そう。ある女性が現実逃避のために泥酔し、翌日、二日酔いの苦痛と、アルコール性のうつ病、臓器の病によって苦しんでいた。あまりの苦痛に、もう死にたいと叫び、世の中と自分の関係に絶望しており、泣いてわめきちらすため、周囲の人々に迷惑をかけていた。彼女が瞑想を知っていたなら、二日酔いやうつ病といった苦痛に関しては一秒で治療しただろう。泣いている女性は静かになり、幸せな感覚に包まれて、世の中の問題からも、肉体とマインドの苦痛からも、ともに影響を受けない意識に保護をうけて、個人という無知でやんちゃな暴徒は去り、そもそも彼女という個人が存在していなかったことを、魂の愛と知恵のなかで知るだろう。

どのようにして治療するのだろうか。治療するのは高位のエネルギーであり、エネルギーは目に従う。したがって、苦痛があり、その感覚をただ目で捉えれば自動的にエネルギーは照射され、苦痛は去り、むしろ苦痛が幸福へと連れていってくれることを知るだけである。苦痛がより高位の意識への扉であることは一般的には知られていない。このような教えが知恵の教育であり、知られるべきことのように感じられてならない。

毎日、どれだけの人々が苦しみ、涙を流し、絶望しているだろうか。ロープに首をかける人を助けるのは知恵である。錯覚の檻に幽閉された個人意識は地獄でしかない。人々は内的にも外的にも日々、闘っており、もがいている。誤った教育による価値観が世の中を構成し、常識とされ、感化されざるを得ない、風潮という途方に暮れんばかりの巨大なフォースが至るところに渦巻き、個人を取り込んでいる。人々は、人間は、犠牲者である。目が見えなくなっており、自動的に善ではないフォースに支配され、自由意志と思い込み、逃れるための術を、自分の目に見える社会のなかに求めている。そしてついぞ、そのような物も、場所も、見つからないまま死ぬのである。

コメント

  • コメント (4)

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    • 高瀬
    • 2019年 2月 05日

    こんばんは!
    瞑想についてです。
    瞑想による治癒力の持続性はどのくらいですか?

    瞑想の効果が薄れてきたと
    感じたら、また瞑想をすればいいかも
    しれませんが、それだと苦痛を誤魔化しているようにも感じます。

      • Author
      • 2019年 2月 06日

      治癒は完治です。ただし通常は(つまり個人意識の方が強い場合)、苦痛の原因となっている対象によります。根深いものに関しては意識が低位のものになるに従い効力が失われ、苦痛を感じるようになります。瞑想の持続性もまた、その人の進化段階によります。受容し、使用できるエネルギーの効力に差異があるためです。通常は、朝昼夕と三回やることが推奨されており、到達した意識状態を保つために有益です。やがて関係なくなります。生そのものが瞑想になります。踏み外すことが出来なくなるのです。

      苦痛を誤魔化すためには、苦痛がそもそも存在することを信じていなくてはいけません。苦痛を感じることはできますが、それは低位の意識状態における錯覚であり、より高位の意識状態では個人的な苦痛とは関わりがなくなります。そのため、誤魔化すという発想はなく、おそらく弟子たちが苦痛を感じた場合は、そこに何らかの間違いと、知恵のヒントを見出すためのものとして重宝されることになると思います。しかし見るだけで終わりです。ヴェールは即時に剥がされるのです。

      苦痛は存在しないという理解に至るためには、瞑想によって、苦痛を見る技術を習得しないといけません。苦痛というものはそもそもないのです。目を背けるときのみ、苦痛という錯覚が存在します。苦痛を感じているのは誰でしょうか。その個人も観念のなかでしか存在していないのです。

    • erico
    • 2019年 3月 02日

    質問よろしくお願いします。私は10年以上瞑想を続けているので、ブログの内容で私に当てはまるところや、分かると感じるところが多いです。いつもありがとうございます。ただ不勉強で、まだ分からないところも多いのです。この記事で、<彼女が瞑想を知っていたなら、二日酔いやうつ病といった苦痛に関しては一秒で治療しただろう>というくだりがあります。私は(女性です)感情の部分には対応できるはずなのですが、個人的に良くないことがあると未だにぐったりしてしまう時があります。苦痛は私にはないので不思議なのです。体の状態だけを言うと、とても重くなってぐったりして多めに眠ってしまいます。瞑想はそういう日はできません。私の心も感情も大丈夫で苦しくないのですが、体はそうなるのです。これは私にまだ気づけていない深い心理的なところがあるからだと思っています。しかしそれが何なのか分かりません。かなり把握に困りそうな質問になってしまって申し訳ないのですが、こういう時の自分の状態の意味が分からなくて、教えて頂きたいと思いコメントしました。お忙しいかとは存じますがお暇なときヒントをください。

      • Author
      • 2019年 3月 04日

      こちらの記事にて返信いたしました。違った解釈をしている場合等、何かありましたらまた遠慮なく状態を教えてください。

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