瞑想

瞑想の前提と苦痛の拡大

人間が最初に瞑想を開始するのは第一イニシエーションの前である。数千回の転生がそれまでに必要となる。自身の瞑想がどの段階のものか、どのような目的と動機のもとに行われるのか、明確に認識することが求められる。あるいは、高位我の引力によって瞑想を始めねばならなかった場合、その人間は瞑想のなかで知識を獲得し知恵へと変性するだろう。

瞑想する人間に共通の特徴は、利己的な物事への興味の喪失であり、平均的な人々が引きつけられている個人的な関心事に対する波動的な免疫である。彼らの利己的な目的は、低位の自己と高位の自己との合一のみである。この霊的な利己主義に基づいて瞑想は開始され、相応の時期に各々のイニシエーションを通過し、意識の拡大を経験し、第三イニシエーションにおいて個人と魂との合一は完了する。高位我と低位我の意識における覇権争いは終わり、それまで人間として活動してきた何某という人物の錯覚は栄光のなかで死滅する。

このように、瞑想は段階的に人間の意識と能力を拡大させるため、いわゆる悪用を防ぐ必要がある。純粋に孤立した個人としての利益への関心から卒業していなければならない。個人の成功という人生からの教訓は習得済みでなくてはならず、激しい苦痛と摩擦を通して、個人から非個人への道に対する強烈な意志、二度と引き返すことのできない回帰の道への固執が必要である。

このような必要性は、生命の形態面に対する否定、そして魂と個人との関係性において生じる。つまり波動の問題であり、諸体の振動率が魂のエネルギーの賦課により高められることで、しだいに、低位の波動からの隔離が生じる。肉体脳においては、隔離による低位への引力を嫌悪感としてしばしば認識する。なぜなら、低位の波動に対する苦痛の感覚が向上するからである。意識が進化すればするほど、より精妙な形態に対する波動的な衝突における苦痛を知覚できるようになり、このとき弟子の瞑想は定期的な時間に行われるものから、目覚めているすべての時間における瞑想へと変化せざるをえなくなる。それは、引きずりおろすものとの関わり合いのなかでの正しい在り方を魂が人間に習得させるためである。

このようにして、最終的には想念さえも苦痛になり、無意識に去来する思考への苦痛と拒絶、つまりメンタル体の統御が第三イニシエーションの直前までに完了することになる。これにより瞑想は観照へと席を譲り、個人と魂との問題は、魂とモナドとの問題へと進化する。

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