瞑想

瞑想法という矛盾

瞑想法というものは存在しない。自我の観点からものごとを眺めるとき、方法という、ある地点から別の地点への移行手段という錯覚が生じるだけである。瞑想は、魂に対する自我の抵抗を弱めるためのものである。にもかかわらず、自我として瞑想を行うとき、瞑想法という気づきにくい矛盾が生じ、自我の拡大のための巧妙な詐欺に自ら引っかかるという喜劇に陥るのである。自我はこのように狡猾だが、自我において狡猾であって、霊的には無能である。したがって、瞑想における自我の活動はすべて傍観の対象でしかなく、瞑想を行う個人は、瞑想において自我である自分ができることは何もないことを知り、魂のエネルギーに意識的に服従するだけである。これは、自我のあらゆる活動の否定によって生じるものであり、この否定はまた、自我の構造への理解によって生じるものである。したがって、個人はおのれの無能を霊的に認識し、魂へとおのれを明け渡すのである。これが霊的な意味での諦念である。

秘教徒は、このような言語の世界に生きていない。上記の解説は、人間における意思疎通の共通手段である観念を通した理解への試みであり、その役割の宿命は道半ばまでである。観念は私的なフォースにほかならない。秘教徒はこの段階において魂であり、観念という自我の構成要素を用いて瞑想を行うという矛盾に気づかないことはない。魂のエネルギーに、すべての自我のフォースは服従するだけである。この服従は、不断の注意深さ、不断の気づきによる理解、理解の必然である否定によって生じるものである。そしてこれらの鋭敏さは、魂意識への集中によってもたらされる能力であり、あらゆる自我つまり諸体のフォースに対する自動的な感知とエネルギーの投射を行わせるものである。このようにして、オカルティズムの学徒は形態の引力に対して勝利と免疫を得るのである。

コメント

  • コメント (2)

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    • 沢村弘子
    • 2019年 1月 09日

    突然の質問で失礼します。沢村と申します。
    佐渡さんという方をご存じでしょうか?
    特別な関わりがない場合はスルーして頂いて構いません!

    まず、書いてあることは本当ですか?
    ブログ主様への言及が今回も含め多々ありますよね?

    400万使ったという記事を読みましたか?
    普通ではないと思われます。
    何をするか分かりません!
    こういった場合は、普通なら、強制入院をさせたほうがいいのでは?と思いますが、
    真剣にご意見を聞かせてもらえないでしょうか?

    私は佐渡さんのブログの一読者にすぎませんが、
    私自身が過去に鬱病で、鬱のブログを書いていました。
    その時の一読者の方に私は助けられ、今生きてられます。
    あの記事を見ていま心配になっています!

      • Author
      • 2019年 1月 10日

      佐渡さんに対して私は責任があるため、現在対処しています。書いてあることは本当です。彼は裕福であり、金銭感覚が一般の人間と異なります。彼のすべての記事を読んでいませんが、実際の彼をわたしは知っています。彼の病状については、必要であればプライバシーに配慮したかたちで記事に書くことにしますが、今伝えることができるのは、どうかご安心くださいということ、そして心配していただいてありがとうございます、という感謝の気持ちだけです。

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