存在

知る者へ

助けを必要としている者は、いつか助ける者にならねばならない。自由になるということである。拘束する全ての力からの自由である。もはやそれらは支配力を持たない。だからそれまでは、毎日が、毎瞬が、探究と克服のための興味深い時間である。探究とは、未知が無知であることを知る道である。少しずつ見破られていくだろう。他人や出来事に動揺する無力な自分ではなく、すべての現実感と影響力に対し、知恵と力、静けさと超越を得て、「そはわが支配下にあり」、そのように言えるたくましき王でなければならない。

内なる探求者に暇な時間はない。興味深い時間があるだけである。分からないことがあってはならない。見つけようとする者は、外に助力を求めてはならない。全部内側である。この栄光の道を避けて通った覚者がかつていたであろうか。全ての賢者は内に知恵の泉を見出してきた。分からぬ事があると喜び、未だ統御できぬ力を見たならば喜び、目を輝かせ、内なる力として対象を無力としてきたではないだろうか。これが万人に開かれた宝探しである。宝とは自らを縛るものを見つけ、それが自らを縛る力がないという実体を見出す実力のことである。

無限

内なる無限を有限あるいは枯渇とさせるのは本人次第である。我々は肉体が死ぬことを知っている。我々はどの生涯の自分も覚えておらず、それが去ったことを知っている。今の自分を真の自分と思うことなかれ。我々は聞こえない時に耳を澄ます。だから静かにするように。荒い振動と関わってはいけない。内の妙なる振動を求めよ。目をおしなべて内へ向けよ。我々ができることはない。ただ、それが全てを為すことを知り、それと共にただ在ることである。静かに、その気配を感じよ。気配はうねりにならねばならない。それは知られるだろう。それは静まり返ったおまえの中で姿をあらわすだろう。それが実在である。それが本来知っていたわたしである。

天の道具

「肉」という漢字から「人」の文字を抜き去ってみよ。「内」である。だから人間として生きてはならない。あなたは無能ではない。また無知でもない。態度を改め、肉の振動を拒否して、知る者となれ。真のわれは全知である。真のわれは全能である。小さき者が黙り、わたしとなったとき、ひらかれた天の遺産はおまえの手ぶらを満たす。そのときおまえは欲しがらぬだろう。そのときおまえは、まだ錯覚する者、血を分けたおまえの兄弟である者らのために、それを手にするだろう。おまえが引き上げられたように、すべての者らが引き上げられねばならない。そのためにおまえは手にし、手にしたおまえは天の道具である。

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