エネルギー・波動

空腹に学ぶ

波動を食す。このように表現するならば、分かりやすいと感じます。実際、私たちはつねに波動を自分の中に入れております。また、諸体それぞれの体に応じた波動を食しているがゆえ、その体は維持されていることを知ります。この維持にも、低位のままの維持であるのか、それとも、高位への変性を経たかたちでの維持であるのか、二つに分かれるということを感じるのです。

例えば、恨みや妬み、あるいは野心や我欲、このような低き波動を食しているならば、人生が辛いものになることを経験いたします。食する波動に従って、低き思考や感情を外へ排出し、その破壊的な表現ゆえ、痛みを伴うカルマの種を撒き、定期的に同じような事象で苦しみを刈り取る不思議を体験いたします。思いの癖、感情の癖。壮絶な苦しみの体験を経て、食する波動が原因であることに私たちは気づくのであります。

無意識に生きることの恐ろしさ、危うさを知り、「気をつける」ようになります。低い気には、高い気をつけるという意味です。分離に根ざした思いと感情は、自分が理解できる最良の思い、最善の感情に置き換えたいという願いに変わります。私たちは誰をも傷つけたいとは思わなくなります。どのような出来事も、偶然はなく、自分が撒いた種の結果であることに思い至り、不平不満の低き波動や、思い癖・感じ癖の幼き反応に流されぬ、意識的な知恵と強さ、そして勇気を得るようになると思うのです。

新生と神性

日常生活の現実感の中で、こうして自己矯正の学びが試され、育まれます。これが成長であり進化ではないでしょうか。意識的なこの波動の置き換えにより、諸体は、文字通り食するものに従い変性いたします。栄養が見事な体を作るように、より精妙な栄養は、諸体を作る質料に影響を与え、高き振動で高き波動へ感応できるものへと生まれ変わります。

空腹は、一時的な栄養を求める徴とは思えません。そのようなカロリーやエネルギーではなく、新生された体においては、その類まれな感応力によって、より高位の精妙なエネルギーを食することのできる、神聖な器へと変わりゆくと思うのです。このようにして、神性を表現することのできる私たちに成りゆくものと思うのであります。

少食と傷食

少食になりたい、慣れたいのであれば、傷食をやめることを提言いたします。自分に傷を与え、また他人や万物に傷を与えるような、分離の波動を食さぬことです。このような傷食をしながら、いくら努力しても空腹はおさまりません。本物の意味で傷んでいない、そして傷むことのない、生命の偏在エネルギーを食する私たちでありたいと願います。そして、この食事を得るための通貨は、愛であると思います。

高度な感応力を持つ体。ここにゆきつくための食す波動の識別。これが身につき始めるとき、空腹はなくなってゆくものと感じます。世の中の食事を否定はしませんが、リスクが伴います。体が悲鳴をあげるような成分ではなく、またいたずらに動物を殺め、いたずらに臓器を酷使することなく、真に諸体が喜ぶものを摂取していきたいと思うのです。だから、空腹があるとき、すぐに自らの思い癖、感じ癖をいま一度振り返りみるような私たちでありたいと思うのです。何に飢えているのか、どのような波動に飢えているのか、そこにゆきつく賢き私たちを願うのです。

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コメント

  • コメント (2)

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    • カエル
    • 2022年 10月 05日 7:51am

    Author様

    以前教えていただいたフォースの制御ですが、今回の記事で朧気に方向性が理解できたような気がします。

    以前はくどくどと質問を繰り返しご負担を与えてしまったことをお詫びいたします。
    これまでの記事が削除されたことはとても残念ですが、これからも記事の更新を期待しております。

      • Author
      • 2022年 10月 05日 12:42pm

      ありがとうございます。

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