日々の雑感

笑い

ある精神科の方と話をしてきた。勤務先の優秀な医師が自殺したのだという。このジャンルは、専門的にはフォースに対する防御方法の習得が望まれるが、まだそれは心理学や精神医学における常識にはなっていないため、親身であるほど危険な職業となっている。同情することと、同調することの違いに明るくないと危ない。超然と在りながら、痛みを知ることは可能なのである。同調、つまり波動を一致させるなら、患者と似た精神状態に陥る。同調を伴う同情は、秘教的にいえばグラマーである。その医師は真面目で、親切で、思いやり深く、処方する薬もまず自分で飲んで実験するような方だった。患者からもスタッフからも慕われていた。しかし、精神科医の自殺率は高い。この分野はより多くの惨事を経験しないかぎり、改善されないだろう。

精神の領域に関わっている方は、自分で薬を飲まないようにお願いしたい。これまで多くの精神科医と話してきたが、たいていは薬に頼って生きている。診ているうち、次第にどちらが患者か分からなくなるのである。

明るい話もある。一人の看護師が、独自に笑いを研究されていた。精神の病いと笑いの関係性についてである。精神の病人は、内にこもっている場合が多いため、外に向けて内的に腐敗したフォースを笑いの力で解放するのは有効である。うまくいけば、注目の焦点を内から外に引きずり出すことができるだろう。この女性の熱意には美しいものがあった。彼女が多くを学び、多くを癒やすことを深くお祈りするものである。

解放のための笑い

笑いにも良いもの、くだらないものがある。つまり物質性の笑いと、霊性の笑いがある。極端にいえば、下ネタのようなもので笑いをとる限り、本人もまた堕落するだけである。漫才やコメディアンなど、笑わせるための笑いも波動が低い。しかし、物質ではなく霊、気づきの方向性へむけた笑いは活用の価値がある。

我々は、笑いやユーモアが、どの方向線上にあるのか、その品性つまり波動について熟慮したうえで人々をリラックスさせるよう試みることができる。その人の状態を見て、反応できる位置まで品性を調節することは必要だが、間違ったものを刺激する笑いは控えたい。私は笑いが涙に変わるのをよく見てきた。笑いが真に癒やすとき、それは気づきと感謝を伴わせる。それは静けさや厳かさといったものをもたらす。これが解放の効果である。弟子は、他人に対するユーモアだけでなく、自身に対するユーモアも適用することができる。その余裕は多くの危険を防ぐだろう。適度に力を抜くことは、狂信や盲信を防ぎ、バランスのとれた思考を維持するのに役立つ。笑えるということは健全さの一つの尺度なのである。

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コメント

  • コメント (2)

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    • あゆみ
    • 2022年 10月 30日 12:44pm

    気になったのでコメント失礼します。
    人と話すといつも同情してしまいます。そして少し疲れることがあります。同調と同情の違いが私にはわかりません。
    同情した時点で、すでに相手に同調しています。

    たとえば、悩み相談を受けてる時、相手が求めている事は、解決案ではなく、共感がほとんどです。

    そのためには相手に同情し話を聞く事で、相手はスッキリしたような顔をします。特にそれによってストレスとてもが溜まるほどではないので、私は今後もこのスタイルで対話をしていいのかとゆう質問です。

      • Author
      • 2022年 10月 30日 8:22pm

      こんばんは。長くなるので記事にて返信いたします。

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