エネルギー・波動

精妙な世界

より古くからの弟子は、なぜ生きているのかを秘教的に解釈している。なぜ肉体という濃密な形態をまとい、聖者がマーヤと見なし一笑に付す世界という戯れの中にて存在しているかについて、より知的に、つまりオカルト的に解釈している。我々が神と呼ぶ惑星のロゴスつまりサナット・クマラがなぜ我々の惑星に顕現せざるをえなかったのか、またなぜ彼の別名が「大いなる犠牲」なのか、このことについて、その小宇宙的な類推解釈の中で意識的に生きている。

周期的な肉体における世界での顕現、つまり輪廻転生の法則から自由になった存在は次のように言っている。「惑星ロゴスが顕現した理由は質料とその形態をあがなうため」であると。また、我々は現在の太陽系が「二番目」であり、我々が顕現し形態をまとうために使用された質料が、以前の太陽系からのものであり、必然的にカルマに染まっており、我々がそうであるように、この古い質料の中にも解放を求める囚人がいるということを教えられ、また個人という意識内でその事実確認を体験の中で学ばされてきた。また、質料に対する光、つまりフォースに対するエネルギーの適用によって質料の霊化つまり「あがない」の過程を研究してきた。弟子は初期段階において魂の光を用いるが、生命つまり霊によるものでなくして真の創造的な復活はありえないことを学んでいる最中である。

このような弟子は主観的に実践的であり、自身がそうであったように、世界を結果(目に見え経験できる現象)からではなく、原因(目に見えないが条件づけ決定づけるもの)から扱う準備を整えつつある。彼は自分自身を、原理であるフォースと原理でないフォースの集合体としか見ていない。したがって、彼は諸体をフォースつまり質料の観点から扱い、自らの立ち位置に冷静であり、個人という錯覚にそれほど惑わされることなく、その”職業柄”、質料に対して光で在ることに集中できている。

彼がいわゆる真我を実現するのは、現象や事象の意味や原因を探究することの必然性として、個人が真なる全体に性質上飲み込まれざるをえないからだと言えるかもしれない。彼らの特徴は、すべてが霊であり質料である以上、統御できないものなどないという絶対的な確信に基づくものである。彼らは精妙なエネルギーとフォースの領域に容易に参入し、さらなる探求のために諸体を調整し、知覚力や感応力を磨き上げる。彼らは外的な形態や現象に真の意味では興味がなく、その原因や、原因を扱う能力、権利に応じてその能力が特定の活動を始動させ結果として結実させる過程への並々ならぬ洞察力を獲得している。第一光線の弟子はこの道を好み、やがてオカルティストになる運命にある。第二光線の弟子が意識の拡大に焦点化する傾向にあるのに対し、訓練された第一光線の弟子は、その意識拡大が啓示するものの拡大に熱誠を抱いている、と言うことができるかもしれない。

これらは我々に関係のある話なのだろうか。もちろんである。好み、つまり条件づける光線の傾向に関わらず、我々は、言語や心象や情緒といった身近な形態をまとわせている諸体のフォースを識別し始めることができる。肉体のフォースは、他の内的なフォースに自動的に条件付けられている。アストラル体と低位メンタル体のフォースは、エーテル体を通し焦点化され様々な形態を絶えずまとっている。これらのフォースは、高位メンタル界から流入する魂のエネルギーが適切に方向づけられたとき、ありのままに見られ、従順になる。魂の光が三界の闇を照らすのである。そのため、見習いの弟子は魂との接触と融合に興味をもっており、前進を志願しているのである。

このブログは、このような志願者の友人になることを志願するものであり、資格の獲得条件と訓練方法に興味を持ち、また見習いとして認められた弟子が瞑想を正しく活用し、静けさと感受性を取り戻し、魂のフォースに敏感になり、現象世界ではなくより主観的な世界から魂のエネルギーを扱い、サナット・クマラがそうしているように、我々がフォースと呼ぶ質料のあがないに決然と生き始めるために知識の共有を願うものである。私はこれを多くの兄弟が達成すると確信している。身近な姉妹たちを通し経験を蓄えてきたゆえ、難易度の問題ではなく、動機と真剣さの問題であると思うからである。したがって、今日もまた書いているのである。

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