治療

苦痛への無知

われわれが病気を生み出すものに対して無自覚なのは、精妙な界層におけるフォース同士の衝突に対する苦痛の感覚の欠如にある。界層とは意識の意味であり、世界中の人間、動物、植物、鉱物、あらゆる段階の意識がある。人間もまた、比較的動物に近い萌芽的な意識状態の者もいれば、広域かつ鋭敏な意識を持つ様々な段階の人間がおり、孤立した統一と呼ばれる個我意識の超越をあらわしているイニシエートもいる。界層におけるより精妙な亜界を征服することで意識は新たな領域に参入する。この征服は、はじめ瞑想として無意識に推進され、のちに高位のエネルギーの賦課と変性の過程を意識的に、かつ目覚めているあいだ始終行うことで完了されていく、形態の囚人に対する終わりのない奉仕である。

簡単な例を挙げてみよう。人が生きているなか、問題に出くわし悩み苦しむ。ここに問題との葛藤、摩擦、軋轢があり、彼は粗雑な界層つまり意識において衝突の苦痛を感じる。この、人間内にて生じるフォース同士の衝突により、何らかの症状があらわれる。衝突の強度とカルマの問題と関連して、ときには、外的な事故、破滅的事象、自死というかたちであらわれることもある。また彼は自分が意識できる界層で苦痛を和らげてくれるものへと目を向ける。それは肉体を使った行動である場合もあるし、精神的な癒やしを与えてくれる何かへの執着であるかもしれないが、いずれにせよ、根本から目を背けており、苦痛の原因は知られぬまま、フォースの衝突は続き、病状は悪化するのである。

以上から明らかな通り、苦痛とは、その人の意識つまり認識できる界層における苦痛である。したがって、われわれが漠然と神と呼ぶ存在、そして神の神である存在、果てしなく続く意識の進化を体現する存在ですら苦痛というものは存在し続ける。人間において、苦痛の比較的乏しい人生に収穫と進歩がないように、苦痛というものは進化への、貫通への、破壊への、超越へのつねなる鍵である。

苦痛を認識できるということは偉大なことであり、そのなかに意味と意義と光を見いだすことができる。ここにわれわれは希望を見ることができる。苦痛を嫌なもの、不快なものとして認識してきた、ただの無知な反応から脱却し、意識的な人間へと成長し、苦痛のなかに隠された財宝の小箱に鍵を差し込み、その勇気と勝利に対する対価としての、より偉大な神秘との合一が各々の段階で照らしだされた栄光のなかで与えられる。これが小さなイニシエーションであり、一連のイニシエーションへと続き、人間というスキームにおける最終的な合一へとわれわれを引き寄せるのものである。

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