裕福

この女は金銭的に厳しい生活を幼少より強いられてきた。外的な容姿であったり、知性であったり、またその知性に裏打ちされた人格の美しさであったり、多くのものに恵まれているとの評価が周囲にはあった。しかし貧しかった。

この女は献身的な瞑想の習慣をもっていた。瞑想あるかぎり貧乏は耐えうる試練だった。むしろ、貧乏が瞑想を育て養う糧であるとすら感じていた。しかし貧しかった。日々の過酷な労働スケジュールは彼女を悩ませた。なぜなら、その労働の時間さえあれば瞑想できると考えていたからである。

「お金さえあれば時間がつくれます。もし私が裕福であるならば、きっと多くの時間に恵まれるはず。そうであれば、もてる時間すべてを瞑想に捧げることを誓います」このような願いをたえず心にかかえていた。

やがてこの女は労働の場で類まれな才覚を発揮する。純真であり、そのきれいな心根からは溢れんばかりにアイデアが湧き出てくる。それらは採用され、労働環境を高めた。小さな職場は金を生み出す大きな磁場となり、才能を引き寄せ、世の中に地位を得て、気づけば彼女は富豪だった。

この女の話はこれでほとんど終わりである。なぜなら、彼女は瞑想しなくなったからである。

コメント

  • コメント (4)

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    • K
    • 2022年 9月 12日 9:41pm

    最近、サウナで心身を整える事がブームになっています。

    私も流行りに乗ってサウナを体験しましたが、過去のあらゆる瞑想とは比べ物にならない至高体験が毎回訪れます。

    その際は、確かにわたしという感覚が消えているような気がします。

    ある意味手軽に瞑想体験が出来るため、ビジネスパーソンに人気な理由が分かります。

    残念なのは、通常の瞑想ではここまでの経験が出来ないことです。

    そのため、瞑想をする気が更に失せてしまいます。

    サウナでの経験はドラッグなどと同じで、瞑想とは無関係でしょうか?

      • Author
      • 2022年 9月 13日 3:26am

      そのような思考は、眺められるだけです。真のわれわれである存在のみが注目と関心の対象でなければなりません。自我として自我の疑問に関わることが障害を生み出しています。

    • 2022年 9月 14日 1:19am

    回答ありがとうございます。

    私は魂と接触した経験はないです。

    そのため、自我が作りだした概念でしかない魂に意識を向ける事しか出来ないです。

    そして当然の結果、自我をさらに強化させてしまいます。

    そのため、そういった事は出来そうにないです。

    ところで以前にあった「苦痛からの自由」の記事は復活されないのでしょうか?

    多くの事が語られていた為、とても参考になりました。
    復活を希望したいです。

      • Author
      • 2022年 9月 15日 1:22am

      記事には責任が伴うため、無縁となった際には放棄しております。

      魂の概念に瞑想しないでください。全ての知識は目の前のリアルを覆ってしまいます。こと霊的な世界において、自我は無能かつ無力です。ラマナ・マハリシの明け渡しではないですが、この詐欺と自演の繰り返しでしかない自我に対しては、完全な諦めが生じる必要があります。そのとき一時的に静けさを知ると思いますが、これに対しても自我の反応をただ観るだけです。また、観ている自分にさえ気づいていることが求められます。この動きに知悉するほど諦めと静けさに精通し、何も求めることなく、すべての知識から去り、それそのものとのみ、共に在るようになります。これがやがて、わたしはそれそのものである、という状態に導きます。

      魂との接触に関しては、あまり気にしないでください。自然に訪れます。接触後は、それが去る事はなく、その波動域内でしか、たとえ自我としても生きることはできなくなります。

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