存在

跳躍の罠

「見るまえに跳べ」という小説がある。この題名は我々の特徴をよく表している。逃避である。何かになろうとする逃げ癖である。本来あるがままの自分は捨て置かれる。終生、我々の大半は自分を見ないだろう。自分ではない誰か、自分とは違う何かが人生の目的であるという洗脳が社会に蔓延している。

子供の時から洗脳は始まる。最初のつまずきは親からの否定である。誰々のようになれ。是々の状態に至れ。精神へのこの脅迫が一生涯つづくため、我々の多くは精神を病み、我々の多くは悪人の仮面を被ることで道から外れ、心の中は、まだ子供の弱きすがたのまま、泣いている。なぜ最初に親が、「そのままで良い」と言ってくれなかったのか。なぜ我々は自分に、「いや、お前はお前で良い」と言ってやれなかったのか。裁かぬ時のみ、ありのままに我を、そして万物を見ることができるのではなかろうか。

何が逃避なのか

自我は逃避していないと生きられない。自分を見られたら終わりなのである。だから、精神は常に逃避へと向かうものと理解し、日頃からこの無意識の跳躍を見守るべきである。何が逃避で何が逃避でないか、一つ例を挙げてみたい。

仕事に行きたくない人を逃避していると一般的には言うが、霊的には逃避ではないと思う。「行きたくない私」を見ないことが逃避である。行きたくないこと自体は問題ではない。そこに批判を加えたり、行けない自分を否定したり、自己憐憫に陥ったりすることで、ありのままの自分から目を逸らすことが逃避であると思う。

解放

逃避をやめ、「行きたくない」自分を許し、「行きたくない」感覚と共にただ在ることに決めたとしよう。何が起こるだろうか。苦しんでいた者は苦しみがそこにないことを知り、全ての錯覚から孤立したこの現在の一点において我は完全に幸福であることを見出すだろう。本来のわたしである限り一片の重荷すらなく、喜びと至福にただただ満ち溢れていることに驚くであろう。そこを深く観てみよ、ということである。これが真我への基本姿勢であり、また生の本質的な在り方である。ここを研究した者は、すべての困難、すべての錯覚の原因は自分であったことに気づくであろう。また再び錯覚に陥ったとき、すぐに我そのものへと引き戻すすべを会得するだろう。

このような単純かつ簡単な慈悲のテクニックが、小学校の頃から教えられるような世の中であることをひたすら願うものである。

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コメント

  • コメント (2)

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    • 山中
    • 2022年 10月 14日 6:21pm

    いつも一度でいいからあなたのような意識になってみたいなと思いながら読んでいます。

    今私は精神的に辛い時期でもありますが、何とか元気に過ごしています。日頃の苦しみを非難せず、ありのままを受け入れる時間を作れるのは一人でいる時だけです。毎日起きてから寝るまでに必ず出会う(見る)世界。人間の繋がり、人間がつくりだす景色が私と出会う時、それを無かったことにしたり、目を背けることなんでできないのではないでしょうか。(現実から逃れられない)

    争いも刺激も快楽も贅沢も望んでいない、ただ普通に正しく生きれるであろう内面を持っていたとして、たとえば虐待、詐欺、いじめ、裏切り、欲望、争い、怒り、嫉妬、憎しみ…ここには書ききれないほど、人間が作り出せる罪に遭遇することもすべて私の責任でしょうか?

    たまに思うのです。私達は出会った瞬間にその関係が生まれストーリーができる。もし、少し右にずれて、出会うはずだったAと出会わなかった場合、このストーリーは生まれなかった。しかし、たとえ出会わなかったとしても、そのAはすぐ私の近くに存在している。この現在世界において、自分が歩いた分だけ景色が広がり、自分が出会った分だけ物語ができる。たとえ一度も外に出ずに、生まれてから何も見なかったとしてもこの世界にAは存在していて、同じようにさまざまな意識が常に存在している。これを思うと、自分はなんて小さな箱の中でもがき苦しんでいるんだろうかと、全体の大きな何かよりも目の前の目に見える現実を大切にしているのは自分だと。。、
    思うのです。

    話がずれてすみません。 
    ところで、あるがままの自分は無敵ですか?周りからどんな批判や攻撃を受けても、あるがままの自分をちゃんと理解したならば、見失うことはないですか?何が正しくて何が正しくないのかわからないと思うこともある。

    仕事や家事子育ての合間を縫って、2日に一回、体が不自由な義父の家に行き、食事や身の回りのお世話をやっていますが、同じくらい近くに住む実の娘さん(義姉)は忙しいからと全く手伝いません。お願いしても何かと理由をつけます。私も自分の時間なんてありませんし、結構無理をしています。義父を助けたいという思いだけでやっています。この行いは正しいですか?

    質問ばかりですみません。つい長く書いてしまいました。

      • Author
      • 2022年 10月 14日 8:31pm

      長くなるので次の記事で考えてみたいと思います。貴重な意見をいただき、ありがとうございます。

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