対話

過去を引きずるうつ病の女性

不幸につぐ不幸、と女性は言った。生まれは裕福。地主の家庭に末っ子として生まれ、六十に近い父から可愛がられて育った。愛情と教育に恵まれ、少女時代は笑顔がたえなかった。姿かたちが女の色艶を帯びはじめる頃には、地元では華やかな存在として注目を浴び、果ては映画や演劇の世界を夢見るまでになった。特別な自分という感覚。おのれを世界の中心に見る癖がつき、知足安分という生の鉄則から遠のいた。こうして地獄の季節がはじまる。

「当時流行の遊び」が昂じて女子少年院で刑期を務めたのち、すがるように若くして結婚。子供はできたが歳の離れた男に夢中となり中絶。不倫の発覚による離婚がつづく。しかし幸福な不倫などありはしなかった。男からの度重なるDVと孤立目的の洗脳により、逃れる術を失い、気づけば十五年を棒に振っていた。おのれの美貌と、愛されたいという切望に溺れて、痛々しい独り身の現在、精神は病み、四十に近づいてなお、アルコールに依存し白馬の王子様を信じている。

あの男のせいで、と女性は繰り返す。声はしゃがれ、憎しみが白眼のうちまであふれている。名古屋から札幌、札幌から仙台、仙台から那覇、そして東京へと身を転々とし、落ち着くことなく、過去の影に怯えている。女性にとっては、新しい男が人生最後の頼みの綱であり、その男こそが私を救い上げてくれる、さもなくば残された道は肝硬変から肝癌、おそらくはその前に「あいつ」に見つかるか、自殺というケジメになるだろうと自嘲ぎみに話す。

冬の公園は静まり返っていた。丁寧に刈り込まれた芝の向こうに女の子が一人、浄らな噴水に手をかざしている。鳩たちが二羽、三羽と飛び立つ一方で、噴水は天を目指して地へ落ちてゆく。少女は落ちゆく水を両の手で守り、顔は空高く、白雲かがやく西の空を見つめている。

あなたはこれからどうしたいのだろうか。

「男という男がみな忌まわしい生き物に思える反面、わたしはじじつ、男を求めています。助けてくれる男が必要なのは見ての通りです。親切で頼りがいのある男に恵まれたとき、わたしは幸福に落ち着くことができるはずです。これだけの不幸を耐え忍んできたのだから、残りの人生、最後まで見捨てられたままではないでしょう。わたしだけがこんな人生で終わるというのは辛すぎます。兄の夫婦のように、慎ましい環境ながらも幸せに暮らしている、そういう精神の安らぎがわたしを癒やしてくれるはずなのです。ただ、同じ歳の女性よりも顔が老け込んでしまいました。原因はアルコール、不摂生な生活、肉体と精神の病気から来ているのでしょう。自分に自信がなくなりました。わたしは鏡を見て毎日絶望していますが、涙も出ないのです」

あなたは、男に何度も欺される女を見はしなかっただろうか。あなた自身もその性質を持っている。あなたは気づいていないが、自分でそのような男を求めている。選り好みが激しくなり、男という男のさがを見てきた現在、親切で頼りがいのある理想の男というものは、あなたの不幸が描き出した空想でしかなく、現実とはほど遠いという事実を受け入れる必要がある。その覚悟は残っているだろうか。自殺という逃避はケジメにならない。あなたは、自身のあやまった傾向、感情や考え方を見つめるとき、はじめてそれが、かつて純粋であった少女時代のあなたへのケジメになることを知らねばならない。また、問題が外部ではなく、いまここにある内部にしかないことを理解する勇気が必要なのだ。

「わたしが幸福を求めてはいけないのでしょうか。不幸な人間は、たとえ空想であれ幸福を求めるものです。幸福だけが拠り所なのですから。わたしは、あなたのように心が平和でもなければ、哲学的でもなく、物事を悟っていたいわけでもありません。ただ、疲れ果てた人間が木陰で一休みするように、わたしにも安らかに涼ませてくれる一つの大樹があるだけでよいのです」

あなたの人生は教訓を与えてくれなかっただろうか。幸福はひどく一時的であり、満足のゆく生活もまた、つねにそれを脅かすものへの恐怖との闘いのうちにある。勝敗はあなたのコントロール下にはなく、周期上、もろい幸福が崩れ去るとき、あなたはふたたび絶望へと身を寄せるのだ。あなたの内部には不幸の種子が無数に宿されている。幸福を求めるのは自由だが、このままゆくかぎり、あなたは現実に対処できなくなる。

理想の人間を求めては失望し、歳をとり、やむなく自分の値段を下げるも、男へ要求する素養だけは多く、また譲れないため、先ほどから幾度となく男ができないと仰る。また、その原因を老いた容姿のせいになさる。有害な男、無意味な男の多さのせいになさる。無意味なのは、あなたの外部へむけた要求であり、叫んでいる自分の内部の原因に通じたほうが早いとは思わないだろうか。じっさい、終わりのない幸福というものは内部にしか見いだしえないのだ。

「先ほどから言っているのですが、あなたとわたしは違うのです。そのような内向的な、宗教がましい話の世界にわたしは生きていませんし、生きたくもありません。わたしたちは現実世界に生きているのであって、人間たちのなかで生きていかねばならないのです。わたしが自分の値段を下げるのは仕方のないことですし、正直悔しいことですが、若い女には勝てません。ただ、私が要求しているのは、裏切らない男、頼りがいのある男、尊敬できる成熟した男、わたしを養うだけの財のある男、けっして男の容姿にはこだわりませんが、最低限の要求はもちろん誰しもあるでしょう。わたしは幸福が一時的だと思いませんし、現に、兄夫婦のように幸福に暮らし続けている人間を知っています。わたしとあなたの話がかみ合うことはけっしてないでしょう」




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