瞑想

霊的怠惰

霊的怠惰は、学びに対する努力や真剣さの欠如というより、実際は、目の前の内的リアルから逃避している状態を指すのではないでしょうか。

私たちの多くが、生活の中であれ、瞑想中であれ、真我に対して怠惰であるように思います。培った様々な経験や書物からの知識など、あらゆる実質的空想に執着し、それ任せにしているのです。また、自らの問いに自ら答え掴み取るということを忘れて、霊的怠慢に陥り、他人頼りとなり、自分でしか見出しえない真理に対し、独学ではないのです。

たとえ聖人の教えであれ、知的確信であれ、あらゆるものが目の前の実在・本質ではないのなら、手放し、乗り越えゆかねばならないものと感じます。

私はイニシエートではないとか、まだ低い存在であるとか、悲しみに満ちた偽りの霊的卑下のもと、すべての存在が神聖であるという教えには、なぜか目を背けているのです。なぜなら、自我にとっては不都合だからと言いうるでしょう。

段階とか、到達とか、目の前のリアルにおいては偽りであると実感いたします。本当にすべてが神であり、愛であり、真我であるのなら、いまここに在る実在のみが真実ではないでしょうか。神の前に高き人間も低き人間もあるはずがないと思います。どのような差別も、分離も、神聖なる輝きに他ならない私たちには、無力にして錯覚ではないでしょうか。目の前に誠実であれ。本質をこそ、われわれは厳しい眼で見抜きゆきたいと思います。

あなたはわたし次のページ

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


カレンダー

2022年8月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031 

最近の記事

アーカイブ

PAGE TOP