孤独

飛ぶ前に見ろ

弱さとは、自我の強さである。

したがって、自我の構造に精通していないとき、弱さの意味が分からない。また、理解のないその弱さを養分として、生という劇のなかで、われわれは翻弄され、その渦中で得られるよりどりみどりの情緒や想念を取り込み、自我の強さに貢献する。こうして、移り変わりの激しい自我が意識において主体となるが、それは精神の主体と言うべきものではなく、条件付けの奴隷であり、したがって手踊り人間に等しい。われわれは周囲の人間や環境、出来事に反応し、対処方法などなく、ただ振り回されるだけである。

彼女は生きるのが困難なほどに苦しんでいた。醜く、そして貧しかった。子供時代に描いた夢はすべて夢のままで終わり、ふて腐れ、ふくれた顔は陰険になり、精神は残りなく負の感情に取り囲まれて、いじめられた獣のように荒み変じ、杖で支えられた巨体は数々の生活習慣病に蝕まれ、さらに臭く、不潔であった。

彼女は、自分よりも惨めな人間を見たことがなかった。「なぜ私だけが」という精神の独白を、生涯のなかでどれだけ繰り返してきたか分からない。周囲の目が恐ろしく、自意識過剰に駆られて、ひどく臆病になっていた。

今より細かった頃、親に強制されて、免許センターに通ったことがある。仮免許を取得し、いざ本物の道路を目の前にしたとき、ハンドルを握る手がふるえた。全身が緊張で固まり、教員が冷や汗をかくほどに大量の汗を流し、まるきり動けないため、やむなく中止となった。これを十度も繰り返したうえ、症状が目に見えて悪化したたため、精神的に難ありとのことで、親同伴のもと、最終的には教習所に断られた。帰りの車で彼女は泣いた。「なぜ私だけが」と心のなかでつぶやいた。親は口をきかず、顔は怒りにふるえていた。

彼女は道路に飛び出す必要はなかった。恐怖に支配された身体は使い物にならない。精神の探求においては、飛ぶ前に見る必要がある。行動よりも行動の原理についての理解が何より重要なのだ。彼女は恥をかいたことで苦しんだだろう。ハンドルを握る手は顫動し、顔は引きつり硬直して、誰からも奇異の目で見られるようになっただろうし、何より自分を責める気持ちが彼女の精神に前途多難の影を落としただろう。

「案ずるより産むが易し」これもまた無能を人間に強いる。「案ずる」ときの葛藤や苦しみから目をつむって飛んではならない。飛んだ先の空想に目を向けるのではなく、飛ぶ前の、現にある感覚を見るとき、その情緒が消えることを知らねばならない。このようにして「案ずることなく産む」ことになる。彼女もまた、飛んだ先を案じたり、また夢見るのではなく、ありのままの自分の感覚に焦点を当てるという技術を習得していれば、生は問題ではなかっただろう。

彼女はこれからも現実に圧倒され続けるだろうか。それとも、圧倒されるている自分の感覚に目の向きを変える勇気を奮い立たせるだろうか。自分の精神さえ手中に収めることができるのであれば、問題がなくなるということを、彼女に伝える術はあるだろうか。

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