存在

魂の認識を阻害する要因

内なる存在、つまり魂は常に存在しているが、人類は今のところ知覚できていない。それがなぜなのかを突き止める者は少ない。また突き止めた理由が現実であるところまで探究する者はさらに少ない。簡潔にいえば、魂を知覚できない理由は主に二つの側面から認識すべきである。一つは情緒体の騒音、もう一つはメンタル界に集中する能力の欠如に起因する未発達な知性である。

情緒体の騒音

あらゆる情緒性質に免疫のない、激動する精神の混乱状態に我々はある。精妙な魂の認識ではなく、粗雑な個人の欲求、感情、気分、周囲の雰囲気、出来事に我々の情緒体は常に依存している。魂には依存していない。環境や出来事が主に我々の情緒反応の決定要因である。魂の声は小さい。しかし我々の声、周囲に反応する欲望の声、恐れの声、感情の声は大きすぎる。

この事実を真に認識したときのみ、正しい瞑想が開始される。欲望の声としての瞑想ではない瞑想が開始される。何年瞑想しても進歩がない場合、主な原因として、この欲望瞑想の状態にあることが考えられる。自我の欲望のために瞑想しているのだが、欲望が強すぎるあまり、それに気づかないのである。この意味は、「同一化」という概念に思考を巡らすならば理解されるはずである。つまり、同一化したときのみ欲望なのである。これを知るならば瞑想の意義が理解される。情緒の存在理由(個人動機)、存在原因(確立要因)、存在時間(持続性)、注目を与えない意義(孤立化)、つまりエネルギーとフォースのの神秘が内的に理解される。

未発達な知性

世に名だたる「知の巨人」ですら、無学なイニシエートの前ではただのうるさい人でしかない。知的で博学な人たちは、無学な弟子やヨギよりも知識が多く低位マインドを鍛えているだろうが、ちょうど無駄な筋肉をつけすぎた人が生活や動作に支障をきたさずにはいないように、魂という人間の本質を知るにおいて、無駄な知性の過剰刺激はかえって彼を無知にする。

「メンタル界に集中する能力の欠如」とは、第一に、情緒体の騒音が原因である。情緒体つまりアストラル体が静かになるならば、明らかに知的になる。障害物競走で、一人だけ障害のないレーンを走るなら彼の速度は他を圧倒する。このとき、彼の「走り」にバランスがあるならば、魂の認知という最初の関門に素直に行き着くだろう。これにより、彼はこれまで肉眼で世界を見てきたが、方向性を転換し、「第三の目」を通して内なる存在に注目しはじめる。つまりメンタル界へ健全に集中できるようになる。界層と亜界の図を見るならば、魂がメンタル界の第三亜界に存在することに気づくだろう。この界層と亜界に行き来する能力が意識内で培われるとき、人間としてではなく魂として思考することができるようになる。

弟子は従って次の事実を知るだろう。考えることは騒音であると。考えることで内的な知覚を遮断していると。そして、真の知覚つまり直観とか純粋理性などと呼ばれる瞬時に知る能力は、考えることではなく、むしろ考えないこと、静かである状態でのみ、知覚しうるものであると。つまり知性の定義は思考の能力ではなく、むしろ知覚する能力であると。そしてこの知覚は、分離のないときのみ、つまり愛と呼ばれる普遍的な意識状態にあるときのみ真にアクセス可能であると。以上の事実が瞑想の基本となるだろう。つまり、魂を知覚し、魂と融合し、魂との一体化を引き起こすための必要条件となるのである。

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