2019への祈り

意識の性質がある包括的な段階に到達することで、分離した自我意識を持つ人間は、自らの措定性に疑問を抱き、瞑想を開始することでやがてより上位の自己であるものとの接触に至る。これが最初の二重概念の始まりであり、自我と高位我との絶え間のない紐帯が、人をして意識的かつ双方向的に合一の過程を進行させる。

現状、至るところで活発に世界を蹂躙し、人々の苦痛をうみだすあらゆる問題の原因となっている不純なフォースの圧倒的な総量が、高位のエネルギーを扱う一定の段階のオカルティストたちにとっての強力な浄化の課題となっている。たとえばラマナ・マハリシは、真我を実現することが最大の奉仕であると言ったが、これもまた、換言すれば、現象世界の背後の歪曲されたフォースに対する最大級の純化についての言及である。したがって、「沈黙ほど雄弁なものはない」のである。この文脈において沈黙と雄弁はエネルギーとフォースに関連づけて述べられている。

瞑想が奉仕であるという決まり文句もまた同様の意味である。将来的に、瞑想は現状の漠然としたものではなくなる。人間つまりパーソナリティーを形成する三界のフォースに対する意図的なエネルギーの投射が注意深い観察のもとで行われるだろう。したがって具体的なものは抽象的なものに取って代わり、知識は捨てられ知恵へと変性される。知識はすべて私物であり、つまり純粋なエネルギーもしくはアイデアを閉じ込めるフォースでしかない。この意味において、現代のコミュニケーションにおける手段は主に言語であるが、将来的にはすべてテレパシーに置き換わることになる。

世界を人間が見渡すとき、物質主義の想像を絶する強大さとその力に対し、悵然たる無力と絶望を感じざるをえないだろう。かてて加えて、人間の圧倒多数がその犠牲者として檻のなかで眠らされている。むしろその状態が人間の定義として定着している。すべては神聖なる計画と定めのなかで進行するとはいえ、この悲痛で悲惨な状態を前にわれわれ人間は必然的に眠りから目覚め、自己の檻を破壊するという義務をおのれに課す必要がある。諸体を浄化し、高位我である魂のエネルギーを最大限に受容し、エネルギー体であるエーテル体としての意識感覚を発達させ、衝突なく適切な動機のもとで必要とされる対象へと流出照射させるのである。すべては上手くいくだろう。一にして全である偉大なる臨在が天上のこのうえない美を地上にもたらすさまを見るだろう。人間を含め、あらゆる意識ある生命の苦痛がよりいっそう取り除かれ、言葉をこえた美のなかで歓喜の音色を響かせ轟かせることをわれわれは確信し、強く祈りを捧げる。

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