恐怖

20220306

敷居の住者、そう呼ばれているものがある。

“瞑想者”がいる場合、おそらく何年と瞑想しようが、この正体を知らないし、片鱗を見ることもない。個人は概念として朧げに理解するにとどまる。

それはある時、「わたし」と関係なく、突如として、姿かたちを明らかにする。それは「わたし」の“意図”と関係なく、“reveil”された、驚くべき浮き彫りの状態で、まさしく共に在り、その者が好む不和や対立ではない、あの包含のなかでのみ、愛の白日に曝される。

この巨大な恐ろしい形態は、個人としての人間を、識閾下で長年虐げ、苦しめてきた。それでいて、個人にその存在を隠し続けることでのみ生きながらえ、おのれを肥やし、個人を、そして個人の物語を編み、その隙間を泳いできた。しかしある時、もはや個人を捉え、支配する能力を失って、ごくごく小さな巨悪として、魂の裡に明らかになる。

その時、個人を貫くのは、解放と自由による、言葉ならざる、得も言われぬ意識と感覚であり、かつて知っていた感覚、忘れ去られていた状態、無垢の子供めいた、本来そのままあるべき無装飾の純真として、知らぬ間に傷だらけになっていた個人を、言葉なき抱擁で癒す。致死的で、あまりに可哀想な傷の数々、痛めつけられた消えがたい痕跡の一つひとつを、その悲しみの潜在的記憶を、瞬間的に癒すのをわれわれはただ目撃するのである。

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